“声が枯れるまで”あなたへの愛を語るよって想ったけど、別に声が枯れても文章で愛を語れば良いし、もし文章で愛を語れなくなっても眼差しで彼だけを愛すよ
“始まりはいつも”突然だが、
終わりも同じように突然なものだ。
急に好きになったものは案外、急に飽きたりする。
だが、だんだん好きになったことほど、
飽きるのには随分時間がかかるし、それまでの旅程が美しく、私たちを励ましてくれる。
何が言いたいかと言うと、突然起こるラブストーリーほど短命で、永く大切に想ってきた相手ほど、運命の相手であるということだ。
“すれ違い”も愛おしかった。ちょっと言葉が伝わらないのも、不器用な君の可愛さだと思った。ちょっと頭の悪いところが、言葉の拙いところがかわいかった。
それが積りに積もり、どこか堪忍袋の尾が切れた時悟った。なぜこんなにも“すれ違い”をしているのだろうか?と。もっと的確に物事を話してくれ、もっと簡潔にまとめてくれ、私のいう意味を理解し、それに沿った対応を取ってくれ。いつのまにか、君を好きになった部分が、君を嫌う理由になってしまっていたのだ。
わたしは、君の愛に、胡座をかきすぎたのだろうか。いや、むしろもう、君からの愛なんていらない。そうすればお互いに本当の、しあわせを掴めるのだろう。
このまま“すれ違い”を迎え、さようならをしよう
“秋晴れ”
何それ?っていうのがこれを見た正直な感想。秋の中の、よく晴れた日という意味かな。物語に出てくる言葉だとしたら、何か良いことがあったときだろう。
学がない女子高生でなんとも申し訳ない感想だ。これが評定平均4.5の次期生徒会長とは思いもしない、いや、できないだろう。私はここ数日、修学旅行に行っていてアプリの更新ができなかったのだけれど、みなさまはどう過ごしていただろうか?いつも通り平和な日々であっただろうか。みなさまとはこのアプリを通しての詩友だと思っている。馴れ馴れしくて申し訳ないが、少なくとも私はそうだ。みなさまの毎日が温和で、平和な、穏やかな日々であるのならば、私もそれが嬉しい。
数多い詩友の“秋晴れ”らしい詩を今日も
また、読ませて頂こうではないか
“放課後”
放課後マックとか、放課後遊園地とか、そういう典型的なjk っぽいことじゃなくて、放課後にコンビニに寄って、友達の唐揚げ棒を分けてもらうのが、私の青春だった。この青春もあと、1年と半年。年月は思ったよりも、すぐに過ぎていってしまうのだ。
だいすきな友人達との記憶を深めるため、通学路も、もちろん学校内でも、“放課後”でも、最初から最後まで思い出たっぷりの青春にしてしまおう。まるであの、たっぷり衣とジューシー唐揚げ棒のように