「はてさて、何からはじめたものか」
荷物の入ったダンボールの山々がそびえ立つ。
白髪を綺麗にまとめた初老の男は、メガネのブリッジを押し上げながらぼやいた。
「とりあえず、中のものだしてダンボール片付けちゃいましょう!」
左隣から元気な声がする。
荷物の山に阻まれ姿は見えないが、腕まくりをしつつ気合を入れているのは容易に想像できた。
「そうだね。まずはカウンターで使う物を出していこうか」
そう言いながら、ダンボール箱をまたいでカウンターキッチンへ向かう。
「やっぱり今回も魔法は使わないんですか?」
「もちろんだよ。食器も沢山あるし、手元が狂ってしまってはいけないからね。万が一というものさ」
「『万が一』が起きないことなんて、先生が一番良くわかってるくせに……」
不服そうな顔の少年がひょこり、とダンボールの合間から姿を表す。
先生、と呼ばれた初老の男は、納得しきれない様子の少年に笑いかけた。
「さあ、早速はじめよう。できれば明日にはお店を開きたいからね」
「明日!?無茶ですよ!荷物はこんなにあるのに!」
「コルト。やってやれない事はないのだよ。我々は0からはじめるわけではないのだからね」
「それはそうですけど……」
コルトと呼ばれた少年は、ふわふわの黄金の頭部をフルフルと振ると、小さな両手で握りこぶしをつくる。
「そうですね!やってやれないことはない!」
むん、と気合を入れるコルトに小型犬を思い浮かべつつ、「先生」は近くのダンボールを開け、中の物を覗こんでみる。
納められていたのは、コーヒーメーカーだ。
「さて、この町ではどんなお客さんに出会えるかな?」
期待に胸を膨らませながら、「先生」は微笑んだ。
『喫茶・旅鳥、只今開店準備中。』
「同情って言えば、『同情するなら金をくれ!』がでてくるなあ」
と言われたので、
「なにそれ?」
と聞くと、相手はうめき声を上げて天を仰いだ。
昔から自己紹介欄の
「好きな食べもの」「好きなスイーツ」「好きなお菓子」
といった、好きなもの、いわゆるお気に入りのすぐに思い浮かばなかった。
好きなもの、すきなもの、私のお気に入り、なんだろう、わからないな
短い時間でそう考えたあと、私は大体嘘をついた。
だって、わからないんだもん
「誰よりも、あなたのことが大好きです」
死の間際、あなたは私を枕元に呼んでそういった。
「すぐに生まれ変わって、またあなたに会いに行きます」
それが最期の言葉だと理解するのに時間はかからなかった。
呼吸をするのにも痛みが伴う中、苦しみながら口にしたのが、私への言葉だなんて。
ほんの少しだけ嬉しいと思ってしまう。
あなたが今すぐ生まれ変わったとしても、世界が広がるまでに私は年老いてしまうのだけれど。
最期の言葉に選んだくらいだ。
しょうがないから、待つだけ待っておいてあげる。
伝えたい事がある。
そう言って玄関の前に現れた彼は、あの日と変わらない姿をしていた。
顔を見て伝えたい、開けてほしいと言う彼に思わず鍵を開けてしまいそうになる。
でもそれは駄目なのだ。何度も何度も己に言い聞かせ、できない、と答えた。
インターフォン越しの彼はそうか、と呟くと、そうだよなあ、と寂しそうに笑う。
ああ、その表情だって、あの日と何も変わらない。
今すぐ扉を開けて、彼を抱きしめたい。
彼のぬくもりを感じたい。
だが、それは最早永遠に叶うことがないことを、私は既に知っていた。
ゴメンな、大好きだよ
消え入るような声にハッとして、俯いていた私はかじりつくようにインターフォンの画面を見る。
彼は、やっぱりあの日と同じように笑って、それから夜に溶け込むように消えていった。