「旅路の果てに」
それはどこだろうか、と考える。
旅に目的があるのなら、達成された瞬間
旅路の果てにたどり着くのだろうな。
目的がないなら、
……そう、例えば、
松尾芭蕉みたいな感じで
旅を栖とするなら、
人生を旅とするなら、
最後に見える景色が、旅路の果てなのだろうか?
かなり詩的な表現だが、
つまり、死ぬ瞬間であるか、ということだ。
私の考えは、いいえである。
人生の旅は、
途切れ途切れに、断続的に行われるものだと思う。
どこで立ち止まるかを、選ぶことができる。
目的を作ってもいいし、なくてもいい。
適当なところで終わって、後から
「ああ、あそこが旅の目的だったのだ」
と気づくこともある。
その時になかった目的だが
意識していないだけで実はあった、
ということもままある。
その断続的な旅を包括して
旅と見ることもできるが
振り返ることができない時点で
意識しすぎるものではないのだと思う。
旅路の果てを選べる。
自分が決めたところが果てになる。
そこに意味のあるものが転がっているかは
自分が
意味のあるものが転がっている場所を
選ぶか否かである、と思う。
逆光
写真が取りにくいね。
だけど、撮られている方は楽な気持ちになる。
目を開けていられるでしょう。
撮っている人の顔が見える。
私の顔が相手に見えてないって少し楽しい。
逆に撮っている人は眩しそうだ。
日が私に向かっている中で撮ると
目を開けられない。
「目開けて!」「こっち向いて!」
なんて言われるけど、無理だよ。
眩しいから。
……でも、逆光の時も
カメラのレンズが光を反射して
それすらも眩しかったりする。
一瞬の光が、目を灼く。
鋭い痛み。
チカッと目を刺して、結局目を開けらんない。
「この世界は」
美しい
なんて、詩的な言葉がすぐに思い浮かぶ。
でも、それは今までの私の記憶の中に
言葉だけで残っているもので実感が伴わないものだ。
本か漫画で読んだのだろう。
それに、さして珍しいセリフでもない。
実感が強く伴う言葉というのは
どこにでもあるような言葉であることが多い。
……と、個人的に思う。
死ぬのは怖い。時間は有限。友達は大切。
誰かがどこかで言うような
教訓めいた言葉や、
言われても「うん、そうだね。」
としか思わない当たり前のこと。
だが、実感を伴ったとき、
強い感動とともに、心からその言葉を理解する。
「そう言われてるから、そう思っている」
という無意識の刷り込みがなんと多いことか。
実感を得るには、
具体的なシチュエーションを考えると良い。
誰がどこで、どんなふうに
実際に想像して、その場にいると感じるほど
その時の気持ちになってみる。
あまりやったことがないと思う。
意味が無いと思うかもしれない。
けど、楽しいのでおすすめ。
「色とりどり」
ってなんでしょう。
すぐに思いついたのはクレヨン。
小学生の時はお道具箱に入ってましたよね。
図工の時間に絵を描くときに使いました。
使うと手が汚れるので
洗うのが面倒くさくて
あと塗りにくいし、
色鉛筆の方が好きだったな。
ゴリゴリと紙を擦る感覚は好きでした。
雪がまあまあ降っている。
1月上旬にこんなに積もるのは珍しい。
朝早く、寒い中起きる。
空気がつんとして鼻を刺す。
朝は道が凍る。
転けそうになるけど、楽しいよね。
そういえば、温泉に行ったら
露天風呂の脇の岩に
小さな雪だるまがちょこんと乗っていた。
誰が作ったんだろうな、と思いながら
私もひとつ、横に並べてみた。