「お金より大事なものってある?」
休日の昼間、同居人に急に問いかけられた。彼女はいつも、こういうどうでもいい質問をしてくる。生返事で免れることもあれば、真面目に言わないと怒ることもあるから難しい。
「まあ……いろいろあるんじゃない」
「なにそれ適当すぎ」
今日は後者だった。仕方がないのでスマホをスクロールする手を止めてまともに考えることにする。
お金より大事なもの。一般論で言うなら時間や健康だろうか。お金で買えないものだからこそそういったものは貴い。
「時間かな」
答えるとあからさまにがっかりした顔をしていた。軽い沈黙が場に落ちる。こういう時は逆質問が定石だ。
「そういう貴方はなんだと思うの?」
虚を突かれた顔をした彼女はそのまま良い笑顔を浮かべて歌うように答えた。
「もちろん、貴方との友情!」
春の陽気のような笑顔。この人のこういうところに救われている。きっとこれからもそうなのだろう。願わくは、ずっと貴方と一緒にいられますように。お金も時間も健康も尽きても、貴方と一緒にいたい。
「月夜」
ようやく桜が咲いた。晩ご飯を食べながら見たテレビでそのことを知った。例年よりも数日遅い満開宣言だった。温暖化の世では珍しい。最近では桜は入学式までに散るものになっていたが、今年こそは初々しい新入生を満開の花々の中で迎えられそうだ。
「桜見に行こ!」
同居人は季節の行事が好きなので、当然花見にも行く気らしい。テレビの中では撮影クルーが花見客に揉まれて、真っ直ぐ歩くことすらままならないと伝えていた。
「もう少しあとでもいいんじゃない」
そっけなく答えてしまうと、分かりやすくしゅんとする。こういう所が、好ましいと思う。
「でも……早く行かないと散っちゃうかも」
「もう夜だよ?」
「夜桜見に行きたい!」
少し迷ったが、行こう、よりも行きたいと言われた方が行く気になる。天真爛漫なこの子の願いを叶えてあげたいと思うから。
「じゃあ今から行こう」
外に出ると、想定よりも暗かった。月は霞がかったようにぼんやりとしていて、妖しい雰囲気さえ感じる。スマホのライトで照らしながら、近所の川の土手まで歩くことにした。他愛もない話をしながら歩いていくとすぐに着いてしまった。
辺りが夜に包まれており、他に人はいない。花見客も見当たらず、車もろくに通らなかった。しんとした街に、たまにどこからか犬の遠吠えのような声が聞こえる。
「本当に満開だ」
同居人が感極まるように呟いた。去年も一昨年も、きっとその前も何度も見ているだろうに、毎回新鮮に感動している。こういう所も好ましいと思う。
写真を撮ろうとしたが、辺りが暗すぎて綺麗に写らなかったため断念した。同居人は少ししょんぼりしていたが、目に焼き付けると宣言して桜を眺めていた。
「もう少し月が出ていれば良かったのにね」
あまりにも必死に見るのでつい呟いてしまった。雲がかった月は相変わらず十分な光を与えてくれない。
「朧月って言うよね。こういう月」
同居人が言って、視線を月に向ける。写真を撮れなかったことを悔いているのかと思って声をかけた。
「明日、昼に来よう。そうしたら写真も撮れる」
すると、ふふっといたずらっぽく笑われた。
「朧月夜の翌日には雨が降るって言われてるんだよ。きっと明日には散っちゃうね」
桜を愛しているように見えたのに、そんな事を言うのは意外だった。当人は心底楽しげな顔をしていて、より困惑してしまう。なんと声をかけたら良いのか分からず、無言でその言葉を受け流してしまった。
「だから今夜、ここで桜を見れたのは私と貴方だけ。二人だけの夜桜だよ。来て良かったでしょ?」
ぎこちなく頷くと、右手を取られて引っ張られた。散策はもう少し続くらしい。
それにしても、危うい人だ。純真無垢、天真爛漫かと思えば、艶っぽくて扇情的でもある。いったいどれが本物なのだろうかと怖くなるときもある。
それでも、今こうして月夜を行く瞬間は本物だ。朧月の雲が晴れるように、いつか彼女を全て理解できるときが来るのだろうか。