わたしはCPTSD(複雑性PTSD)と診断されている。
具体的には聴覚反応でフラッシュバックが発生することが多い。
何か楽しみを見つけたとする。
「遊んでいて良いと思っているのか、このクズが。もっと人より努力しろ!」
つらくて休みたいなと思ったら。
「ふざけるな、怠け病だ! 他の人のように、はつらつとしろ! 動け!」
常に隣で天国の父が囁いている(むしろ怒鳴っている)。ずっとずっと、この呪縛は抜けない。
【ずっと隣で】
わたしは二十歳で成人喘息グレード四を宣告された上に親から入院を禁止されたため、点滴通院の毎日で、大学に二年しかまともに通えていない。四大なのにである。
なので、数年前あるところで心理学の講義を受けることが出来てとても嬉しかった。もっと知りたいと思ったし、親との生育歴で歪んでしまった自分のメンタルを立て直すヒントにもなるかと期待した。
しかし講師のかたにメンヘラと嫌われてしまいブロックされたので、もう講義には行けない。わたしがCPTSDや愛着障害、解離性障害、転換性障害を患ったのは、わたしが望んだことではないのだが。どうやら患者自身は、勉強することもよろしくないらしい。
【もっと知りたい】
わたしが欲しかったものかも知れない。
世にいう「平穏な日常」。
でも、人付き合いを禁じられたわたしには、よそのおうちを見ることは出来ない。
わたしのおうちでは、父が食事中に酔って兄を怒鳴ったり、殴ったりして、見て見ぬふりをする母が黄ばんで傷んだご飯を出してくるのが、日常だった。
父が酔ってそのまま自室にこもってしまう日が、一番平穏といえば平穏。大概何ヶ月も口をきいてくれなくなるけれど。
その場合、教員を勤めていた母が、テストを作らせたり、採点させたりしてくるけれど、傷つけられる訳ではないから、やっぱり、平穏......なのかな。
【平穏な日常】
僕は、最高の幻想だと思う。
そんなもの、どこにもないのに。
【愛と平和】
僕の前に道はない。
僕の後ろに道はできる。
有名な、高村光太郎氏の「道程」の一文である。
僕も似たような感覚を抱いていた。
でも僕が来た道を自ら振り返ったとて、過ぎ去った日々の残りかすが、チラチラと輝いて見えるだけで、哀愁に浸れるとかそういう情緒を揺さぶるようなものではなかった。僕の場合は、ね。
過ぎ去った日々にイフはなく、幾つか選んできた選択肢にも正解はない。現在と書いていまと読むこの現実があるだけだ。
残念ながら、僕は詩人にはなれない。
【過ぎ去った日々】