キスチョコのキスがこれかどうかは知らない。
だがわたしはキスチョコで命を落としかけた。
あれは高校一年生の時。
中高一貫の学校も受験期を迎え、予復習に毎日小テストがあって、更に趣味で創作もしていたわたし。
当然時間がない。足りない。というわけで削るのは睡眠時間。チョコは苦手だったのだが、逆に目が覚めるので、キスチョコを大袋で買って、朝四時に寝て目覚ましを四時半にかけて、キスチョコをひとつ口に含んで起きていた。そんな生活を一か月続けた。
免疫が落ちたわたしの心臓に風邪ウイルスが入った。
大事なことなので繰り返す。睡眠はしっかり取ろう。免疫が落ちると風邪で命を落としかける羽目になる。
【Kiss】
千年は一瞬の光の矢、だと昔見ていたアニメ主題歌で歌われていた。
だが人間にとって、千年は永い。子供の時の十年の永さを思い出すと、とてつもなく永い。小学生のわたしには大学生の自分は想像がつかなかった。
千年先も地球に人間は生きているのだろうか。
わたしは疑わしいと思う。この温暖化、気候変動、地軸もいざっているという噂も聞いている中、人間はかつての恐竜のように滅んでしまうのではないかと思っている。しかし自分がそれを見届ける前に天命尽きて消えるであろうとは何となく思っている。
見届けたいかと問われれば否である。何も知らずに現世から消えたい。
【1000年先も】
昔むかし、ある騎士が恋人の乙女のために、急流に咲くこの花を摘みにいって、川で溺れ、乙女に花を投げて「私を忘れてくれるな」と叫んだ......それが勿忘草、forget-me-notにまつわる言い伝えである。
しかしながら、わたしは勿忘草の外見を知らない。いや、見ても認識できないのだ。
小さい頃から目が悪く、視覚認識より聴覚認識に頼っていたのもあるのだろう。また、草花、虫、魚、そういったものに一切関心を示さなかった子供であり、大人になった今尚判別がつけられない特性もあるだろう。
言い伝えはわかるのに、どんな花なのかわからない。
この歪みがわたしの特性を如実に表している気がする。
【勿忘草(忘れなぐさ)】
実は、乗ったことがない。
小さい頃、乗ってみたくて、じっと公園で待っていた。年上の女の子が二人で占有していて、いつまでも番は回って来なかった。養母に、帰るよ、と言われて諦めた。
それからずっと乗れずじまいだ。
ブランコは三半規管を鍛えるらしい。わたしはブランコ遊びをしていないので、乗りもの酔いが激しかった。車でも船でも電車でもとにかく酔った。ブランコ遊びとの関連性が本当にあるかは知らないけれど。
【ブランコ】
僕は永い人生という旅をしてきた。
人と出会い、別れ、また出会っては別れてきた。
そんな僕も、もういい年齢だ。僕、いや、儂と自称したほうが似合うだろう。白髪とシワに刻まれた記憶と思い出が今の儂を形成している。
でもそろそろ、疲れてきたよ。
友人との別れ。家族との別れ。運命は残酷な引き裂きかたをするものだ。親友は自らの手で幕を下ろした。家族は皆、病気や寿命で旅立った。もうじき、儂の番じゃろう。
この世のものをあちらには持っていけない。儂はエンディングノートをつけ始めた。山のように集めた書物も引き取り手を探さねば。元気なうちにやっておくのだ。旅じまいの準備を。
【旅路の果てに】