うちやまの涙は奇跡と言っていいだろう。
それは何万年ぶりの出来事だった。
あることを行ったことでうちやまは涙
したのだ。
その光景はさぞ美しかったのだろう。
だが、私は見ることが出来なかった。
悔しくてその日から寝付けていないのだ。
だから私はその奇跡をもう一度、
次は私の手で掴み取ってみせると、
誓おうと思ったがやめた
みんなはたそがれの意味を知っている
だろうか。
それは物思いにふける、ぼうっとする
という意味なのだ。
みんなは○○たそがれてるね笑と
使ったことはあるだろうか。
たそがれている=陰気臭い=えおゆうま
なのだ。
明日もきっとたそがれているだろう。
その次の日も、トイレをしている
時も🤣
きっと明日もうちやまは私たちと同じように
起きて食べて寝てを繰り返すのだろう。
しかし、うちやまは普通ではないのだ。
うちやまはそのルーティーンの中に独自の
ルーティーンがあるのだ。
それは、生徒に怒号を浴びせ、しわを
増やすことだ。
それはとても可愛らしい光景であり、
私たちにとっては利益しかないのだか、本人
はただの自爆行為だ。
きっと明日も。来世も。
うちやまの怒りの咆哮がなければ
その時間は訪れないのである。
ましてはみんなを悲しませる。
その姿はまるでラージャンのよう、
臭くたくましいシワでできているのである。
次の静寂が起きた時にはうちやまを
討伐しようと思う。
薄暮の駅のホームに立ち、彼女を乗せた電車が遠ざかるのを見送った。心の中で言いそびれた言葉がいくつも渦巻く。伝えたい想いがあったのに、胸の奥で絡まったまま出てこなかった。彼女が振り返ることはなく、そのままドアが閉まる音とともに姿を消した。
僕の手元に残されたのは、暖かさの余韻と、これからやってくる寂しさの予感だった。背中を向けた彼女のシルエットを、何度も瞼の裏で再生してみるけれど、やっぱり言えなかった後悔がずっと付きまとう。
「またね」と軽く手を振った彼女の笑顔が、ふわりと消えてしまうような感覚。別れ際に残された静寂が、ただ無言で僕を包み込み、見送りのホームにたった一人取り残されたことを改めて実感させた。
次に会えるときは、もう少し強くなっているだろうか。素直に、自分の気持ちを伝えられるだろうか。心の中で繰り返す疑問と、彼女のいない現実の狭間で、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
でも気づいたんだ、これはうちやまの夢にすぎないと。