「貴方の将来の夢は何ですか?」と言う質問は、人生で一度か二度は必ず出会うものだ。
来年のことを言うと鬼が笑うというのに、何故、何年も先の未来のことを人は聞くのだろう。
「明日生きているとも限らないのに、何故問うのですか?鬼が笑いますよ」
なんて返したら、きっと嫌な奴で話も出来ない奴と言われてしまうのだろう。
そうわかっているから、無難なもので濁してしまう。お茶を濁す未来──現実の未来まで曖昧になってしまいそうだ。
とは言え、自身の未来像を持っているかというと、これが全く持っていないのだから困りものだ。
せめて自身の未来のビジョンくらいはしっかり持っておくべきなのだが、自身の事なかれ主義と虚無主義の弊害は随分大きいようだ。
一年前どんな生活と聞かれたら、
「今と変わらない生活」と答えてしまう。
朝起きていつもの時間、いつもの電車で仕事へ。
楽しいこともあったけれど
一年という塊で見た時、
今とたいして変わらないと思ってしまうのだ。
でも、
一年前私はここで文章を打つことはしていない。
一年前の自分では想像すらしていなかっただろうな。
お題に沿って文章を打つなんて。
一年、365日。
その数字の前に私は漠然とした感じを抱いて、
大雑把に捉えてしまうけれど
日々変化している。
一年前の私から、今の私へ。
では、一年後は?
一年後、私はどんな変化をしているのだろう。
不変なんてないこの世界で、どう変化していこうか。
さて、上記は1年前の私が書いた文章だ。
1年前の私へ今日はAnswerといこうじゃないか。
さて、1年前とは職場環境が変わってしまったが、飽きると思ったこのアプリは、一日も休むことなく続けている。
私に少しの変化があったのと同じようにこのアプリにも変化が起きていて、新しいお題が更新されなくなった。
その兆候が見られたのは、5月後半あたりからだろうか。
6月に至っては、全部リバイバルテーマとなってしまっている。
今月は本当にずっとリバイバルのままで終わってしまうのだろうか。
では、来月は?
来年は?
今後、新しいお題が来ることはもう無いのだろうか。
年が違うだけで、同じ月日のお題が提示されていく今。
ループが終わらず、1周目から2週目へとなったとしたら…。
些かの不安が過る今日此の頃だ。
作家縛りで好きな本
「78」
「針が飛ぶ」
「つむじ風食堂の夜」
「それからはスープのことばかり考えて暮らした」
「空ばかり見ていた」
「フィンガーボウルの話の続き」
「すぐそこの遠い場所」
「クラウド・コレクター」
「らくだこぶ書房21世紀古書目録」
「ないもの、あります」
「注文の多い注文書」
穏やかな話が、好きなのです。
天気は、人の力で制御できるものではない。
主導権は常に天気にあり、人は選択権を持たず、また、拒否権も持っていない。
そんな理不尽な天気を相手に人ができることは、対処でしかない。
しかし、あいまいな空の場合、どちらの天気に傾くか分からないのに対処しなくてはいけないという状態になる。
しかもそれは、二分の一で外れるのだからたまったものではない。
あいまいな空は、意地悪だ。
あじさいは花色にpH(水素イオン指数)が関わるため、リトマス紙のように例えられることが多い。
土壌が酸性だと青色に、アルカリ性だと赤色の花になる。
しかし、あじさいの色素であるアントシアニンは、
酸性(pHが低い)だと赤色に、アルカリ性(pHが高い)だと青~緑色になる。
あじさいの花色がアントシアニンだけによるものだと真逆の花色になってしまう。
近年の研究で、あじさいの花色は【pH】【助色素】【アルミニウムイオン】の組み合わせで決まることがわかった。
助色素=アントシアニンの発色に重要な役割を果たす
色素(無色)。
5CQ、5pCQ、3CQの三種類がある。
pH3(食酢と同じ酸度)で、アルミニウムイオン量が少なく、助色素の中で3CQの比率が高いとき、赤色のあじさいになる。
pH4(ヨーグルトと同じ酸度)で、アルミニウムイオンが多く、助色素の中で5CQが多いとき、青色のあじさいになる。
白色のあじさいについては例外で、元々色素を持っていないため、土壌のphに関係しない。
色素と助色素の含有量は遺伝によるものだが、酸性度やアルミニウムイオンの量は環境条件に由来するため、紫などの色が現れると考えられている。
上記は、ネット情報と文献を寄せ集めて整えただけに過ぎない文章だ。
例にあげられなかった5pCQについて、いくつかの学術機関の文献を流し見たが、青色発色に関わっているらしいくらいしか凡人の私にはわからなかった。
専門用語と数式の羅列が並ぶ論文は、その道を行く人にとっては貴重な資料なのだろう。
素人の私にとってそれは難解過ぎるものだったが、流し見ただけでも伝わってくる研究への熱意に、敬服の念を抱かずにいられなかった。
今日もどこかで、論文を書き、それを足がかりに研究をする人がいるのだろう。
世界を真摯に見つめた先に、どんな景色や発見があるのだろうか。
そうして発見された定理や真理は、この世界をどう変えていくのだろうか。
未知への扉が開かれるような気がして、凡人な私はワクワクしてしまうのだった。