清原紫

Open App
5/3/2022, 10:46:30 AM

「ありがとう」を伝えたい相手。
そんなの唐突に言われても分からないが、強いて言うなら誰だろうと逡巡する。
――思うに、私は幸せ過ぎるのかも知れない。幸せに慣れてしまっているから、今の自分の幸運さが分からなくて、「ありがとう」の一つも言えないのだろう。だからって、起こり難い事象に対して感謝を口にする為に不幸になる気はさらさら無いのだけど。
誰に感謝を告げるか。その問いにはありきたりに「家族」とでも答えておこう。とか言いつつ、その回答の割に何も言って無い事へ僅かに良心の呵責を感じる今日この頃。

5/2/2022, 10:24:52 AM

優しさって何だろう。
そんなことを考える間もないままに日々は過ぎゆく。
だけど、改めて考えてみたいと思った。
辞書を引いてみる。思い遣りや慈しみのことらしい。じゃあ思い遣りとは? 相手の身になって考えることらしい。
相手の身になって考えること。
この言葉通りに行動できたらどれだけ楽なんだろう。誰もが自分とは違うのだ。教え方の一つに「自分がされて嫌なことはしない」とある。その嫌なことさえ人によって変わってくる。相手は他者であり、その気持ちを完全に慮るなんて不可能だ。
多様性がどうのこうの言われる時代に、優しさの定義はどう変わるのかなと思う今日この頃。

5/2/2022, 8:57:14 AM

共感覚、というものが世間にはあるらしい。
あれはいつのことだったか、色彩検定か何かの本で読んでから興味を持った。
私が興味を抱いたのは、正確には色聴とかそんな感じのヤツだったと思う。そういった共感覚をお持ちの方々は、音だけでなく数字や曜日にすら色を感じ、その空間的な位置さえ決まっているという。知覚する色にも個人差はあるが、とかく彼等彼女等にとってその色のある生活を常識なのだ。例えるなら誰かにとって『A』という文字がオレンジであっても、別の誰かにとって『A』は紫色、といった具合に。そしてお互い、当たり前だと思っているその色を否定されたら不機嫌になる。これは私にとって驚き以外の何でも無かった。
――さて、前置きが長くなってしまったようだ。
ここから私が学んだことは、要するに少数派の中にも少数派が存在するということだ。何でもひと括りにしてしまって良いのかと思わざるを得ない今日この頃。