『heart to heart』
単純に
精神医学的に
「生まれたときに発生して、死によって消滅するもの」
「脳の中にあるもの」
なんだそうだ
いくら学んだとて
知識を得たとて
目の前の問題に
特に精神疾患のもの【双極症の私】は
ひとつひとつ、解決しなければ
脳と心は一致しない
その通りだと思った
知識はありすぎるくらいある
学べることは片っ端から学ぶことは出来る
それでも…
心が追い付かない
「こんな私は私ではない」と
いつも心は叫んでいる
矛盾が…
私を苦しめる
「わかってる!でも…」
毎日、脳の自分と心が喧嘩をする
頭で理解することと
心が理解することは
全く違うもの
ということを
毎日、幾度となく繰り返す
それは
とても辛く、とても疲弊する
いわゆる、精神疾患ではない普通の人にも
それは多少なりともあるはずだ
だけれど
双極性の私は…
知識だけはあるがために
起きてから寝るまで
これと共に生き闘わなければならない
本でも、それ以外でも
精神科医や心理士は簡単に
「薬さえ続ければ、寛解状態を維持できる病気で
薬さえ続ければ、再発リスクも自殺リスクも減る。
日常生活をおくれるようにもなる」
と言うんだ…
それが簡単だと本当に言えるのか?
それは医師や心理士側にとっては簡単という
解釈なのだろう…
でも…
完治のない寛解という事実から
こちらは受け止めなければならないし
「薬さえ」ではない
「薬すら」毎日、毎時間こなすことすら
容易ではない
結局…当事者ではない医師や心理士の考えは
当事者からしたら、相当な覚悟がいることを
知っていて欲しいものだ
何故ならば…
簡単に言うんだみんな…
「薬さえ」って…
結局…
人間というものは
その立場になってみなければ
本当に相手のことを知ることは
難しい、いきものなんだ
だから
人それぞれ
『heart to heart』が同じとは限らない
それといま
私は日々闘っているんだ…
『永遠の花束』
そんなものは…存在しない
言い換えれば
「誓いの花束」とでも言えるのかもしれない
けれど
花は枯れる
いきものは枯れるのだ
ドライフラワーにすれば?
にしても
何百年何前年も
保つことは不可能だろう
ブリザードフラワーも流行った頃も合った
けれど日に日に色褪せ保管もむずかしかった
それに風水的にも良くないことは知っている
プラスのパワーを吸い取る
置く場所が重要なのだが…
気になる人は調べて欲しい
だから
私はドライフラワーもブリザードフラワーも捨てた
かといって人生プラスに傾いたわけでもない
風水といえど
占いのようなものだ
そもそも
「永遠」に存在し続けられるものなど
あるのだろうか?
私はしたことがないけれど
結婚式では「永遠」を誓うのだろう?
私は「誓います」とは胸を張って言うことは不可能だ
人の心も移り変わり、永遠ではない
永遠を誓って、どれだけの人が離婚した?w
いきものは枯れるのだ
そしていきものは変化する
だから『永遠の花束』なんてものは
存在しないのだよ…
『旅の途中』
人生そのもの
「生きる」ということが『旅の途中』なのだろう
そして「旅の終着」、これが「死」だ
私は何度も
旅を終わらせることを考えてきた
けれど
出来なかった
出来なかったときの理由は様々だ
同期に阻止されて
我が子を残して逝けないという
母の私に止められて
愛した人に
そんなこと二度と言わないで!
と言われたから
何かしら
悪く言えば邪魔が入り
良く言えば救われてきたのだ
そして
何かの本で「いきもののなかで、一番残酷なのは人間だ」
ということ
そして、これを全うしなければ
来世でまた人間に戻されるということを知った
人によっては、人生割りと普通に生きてきた人たちは
人間にされるの?やった~!
とでも言うのだろう
けれど半世を過ぎても尚、
この人間とやらを来世に続けるなんてことは
私には恐ろしくて仕方がない
波乱万丈過ぎる人生を歩まなければならない理由が
前世の行いならば…
私は相当な悪人だったのかもしれない
でも…だからこそ
私はこの人生で、人間を終えさせて貰いたい
だからこの
『旅の途中』は自ら終わらせることは出来ない
来世で記憶がないとしても
私と同じように苦しむ人間を
1人でも救うことが出来るのならば
私はまだ終わらせることは出来ないのだ
私のような想いは
他の誰にもして貰いたくない!
『まだ知らない君』
これは2つの意味かあるね
ひとつは
私がまだ知らない「君」
と
君がまだ知らない「私」
これは
どっちの意味にしろ
あって当たり前だ
お互い全てを知り尽くしている
なんていう
友人、親兄弟、こども、パートナーは
この世に存在しない
そう想いたいよね?
けれどそれは無理だ
親子とて、血が繋がっていたとて
別のいきものである以上
全てを知り尽くすなんていうのは不可能なの
例え
想いを伝えたとしよう
でも人それぞれ価値観が違う以上
捉え方も様々で感じかたも違うのだ
これは私が双極症だからだろう?
とも思ったけれど、違うな
痛みや苦しみの度合いも、みんな違う
だから
『まだ知らない君』は存在し続ける
誰の身にも存在する
君たちの知らない「私」も
これまたあるのだ
私は女友達がいない
けれど、この歳になっても
私を思ってくれる男性は
思春期から絶えたことがない
すごい、嫌な奴だろう?
女性からしたら余計に嫌な奴だろう?
だから友達も男性になる
そして女性扱いしてくれる男性が落ち着く
チヤホヤされたいのだ
だけどさ
その本当の意味も知らないだろ?
私の壮絶な過去に
愛着障害、PTSD 、パニック障害
社交不安、境界性パーソナリティ障害
うつ病から双極性障害
こんな私なんだから
男性にチヤホヤされたいくらいは
許してくれないだろうか?
私のことを知らない
『まだ知らない君』へ
『わぁ!』
今の私の毎日は
こんなことの繰り返し
一応これでも三人の男の子を育て上げたから
男の子をもつ親なら
朝から晩までこれの繰り返しだろう
だから、ちょっとやそっとじゃ動じない
そんな機能を確かに持っていたはずなのにさ
だけどさ…
まさかここにきて、自分で自分に
毎日驚かされるなんて思ってはいなかったんだ
朝から『わぁ!』
いつの間にこんな時間…やっちゃった
買い物行くつもりだったのに…
支払い今日までだったのに…
他の何かに夢中になり…やっちゃった
(何かに夢中になると食べることも、寝ることも忘れる)
他にも
洗濯機回したつもりで、回してない
ご飯スイッチ押したつもりで、押してない
メイクするつもりが、何故か時間がない
水やお茶、コーヒーを毎日のようにぶちまける
アイコス吸っていたのを忘れる
(紙タバコじゃなかったことに感謝)…等々
大人なのに…
出来ないことが増えていくという…
こぼすなら、蓋付きにしても
蓋をするのを忘れる
認知症のような毎日の「双極症」という病の私
精神科医や心理士は
「仕方がない」と踏ん切りを着けるしかないと言う
でも…
確かに過去に出来ていた
寧ろ完璧すぎる程出来ていたことが
出来ない自分に
「仕方がない」とは簡単にはならないんだ
だからまだ私は前に進めないのかも知れない
だって…
毎日同じ失敗して
ひとりで『わぁ!』って叫んでるのが現実だなんて…
あれもこれも完璧にこなせていたのに
受け止めきれない事実なんだよ
その何でも出来ていた頃が
もしかしたら…そう状態で
本来の私は今の私なのかなぁ…?
もう少し学んでみる
ちゃんと向き合わないとな☆ミ