『仲間』
『仲間』とは
同じ目標や目的、将来のために支え合い
協力し合う関係
に対し
「友達」とは
目的や利益がなくても連絡を取り合い
惹かれあう関係
らしい
で、考えてみたけれど
私には…どちらも今はいない
仕事をしていたときは『仲間』だったが
辞めたら結局そこまでだった気がする
私が病んでいるからと気を遣われているうちに…
『仲間』が「友達」になったと思ったら
連絡すらなくなった=「友達」ではなかった
これが現実だ
私が結局、悪いんだろう…?
気を遣わせて、周りを振り回して疲弊させる
わかっていないわけではない
でもこれは自分で抑えられるときと
そうでないときがある
どうしようもないことなんだけれど…
理解されることも難しいんだろう
だから
いつも孤独だ
精神疾患だと伝えた方が自分的には楽なのだが
伝えると退かれる
伝えずに普通を演じていたら
症状が悪化する
この繰り返し
一体…何が正解なのか?
ありのままを見せても、見せなくても
結局は孤独にはかわりない
なら
『仲間』も「友達」も要らないや…
ってなってしまう
その仮定を頑張ったとて、最後は孤独なら
なんのための時間だったのかさえ、わからなくなる
これが『仲間』も「友達」も
幼い頃に自分で作れる環境じゃなかった
今はイイ大人の拗れ女の終局…
残酷だ…
だから男性としか向き合えないのに
男性にも結局、最後は面倒がられて終わりなんだ
じゃあ…私の孤独や空虚感は永遠に
無くならないんだろうな
だから早く逝きたいって想うのは
そんなにいけないことですか?
『手を繋いで』
『手を繋いで』
歩いているお年寄り夫婦を見ると…
昔から思っていたんだ
「素敵だなぁ、
私もいつか…あんな風になれるのかな?」って
でも私のその夢は
結婚1年目にはもう
そうはなれないことを悟った
それでもね
今もそんなお年寄り夫婦や姉妹の
『手を繋いで』いる様子を見ると
ほっこりするんだ
私にはそんな未来は絶対にないし
したいわけではないけれど…
何故かあたたかい気持ちがわくんだよね
私の腹のなかは、真っ黒だと思っていたけど…
そうでもないのかも知れない
手を繋ぐって
簡単なようで簡単じゃないし
当たり前のようで
当たり前ではなくなる
それが親子であろうが、恋人であろうが…
だから
『手を繋いで』君と歩きたいんだ
温もりを感じたいんだ
当たり前に繰り返している人には
過去に何度も投稿した
当たり前に愛されてきた人同様
それがどれだけ幸せかってことに
残念ながら…気が付かないんだよね
でも私はその一つ一つが
その小さな小さな幸せが
その人たちより多く感じ取れるなら…
普通じゃなくたって、いっぱい辛くたって
繊細だって…
もしかしたら悪くない人生なのかもしれない
欲を言えば…
君と一緒に年老いて
君と一緒に『手を繋いで』歩くお年寄りに
なりたかったなぁ…☆ミ
君と出逢う前の私は
こんなにも穏やかに過ぎる時間があるっていうことを
知らなかったんだよね
昨日の題材になっちゃうけど…
だからこそ
「(沢山のことを経験させてくれて)ありがとう、
(でもいつも振り回して)ごめんね」
『ありがとう、ごめんね』
これって…人として
本当に本当に当たり前のことなんだけどね
【親しき仲にも礼儀あり】
っていうことわざもあるのにね
出来ない人って多いよね?
いや…みんなは出来るのかな?
私の生きてきた人生の周りには
これが出来る人が本当に少なかったんだよね
毒親から、毒姉から、毒夫から…
この言葉を聞いたことは一切ない
だけど私はね
この連鎖を止めるため
子どもたちにも教えつづけたしね
例え母だろうが間違った時は
子どもにだって「ごめんね」って謝ったし
感謝はちゃんと「ありがとう」で伝えつづけたよ
これってさ
案外出来ない大人が多い気がするのね
高齢になればなるほど頑固になるから尚更
出来ない人が多すぎる気がするの
昭和の発想なのかな?
謝ったら負け!
的に思うバカ(下品でごめんね…)がマジ多いのよ!
例えばタクシー(例えだよ、私の地域なんだけど)とか
お酒を飲んだ後、夜中に乗ったりしたらさ
大抵、高齢の運転手だったりしてね
わかるよ!わからない訳じゃないよ!
心のなかでさ
「お前らが遊んでいる間、俺はこの時間まで働いてんだよ!」
って思うよね、そりゃ思うと思うよ…
退職後、働ける所も少なくてさ、
夜中のタクシー運転手までして頑張ってるんだよ!
って思ってもいいよ、仕方ないよ
でもそれは心の中に止めて欲しいわけ…
だけど、だからって、
信号機がレースのスタートですか?ってくらいフライングはするし、
黄色~赤信号の合間は何故か青かのようにぶっ飛ばす…
終いには急ブレーキでお家にゴール…
で、QR決済オッケーなのに「それでお願いします」って言ったら…
「チッ!」って舌打ち…(「おい!こっちは客だぞ!」)
流石にいつもは穏やかな私もね…
名前チェックしようかと思ったりしたよ
だけどきっと色々みんな事情があるんだ…
って飲み込んだ
けど、これね、毎回なんだよねw
違う会社、違う運転手でもね
何故か私の地域はこういう人ばっかでね
逆に笑えるくらいになってきたけども
でも…
私は結構ないい大人なんだけど、
こういう高齢者にはなりたくない!って思うのね
ちゃんと誰にでも
『ありがとう、ごめんね』って言える人で
この世を去りたいわけ
わかるよ
世の中、矛盾だらけでさ、
おっちゃん、おばちゃんも
やさぐれるのも仕方ないさ
「こんなに頑張ってきた結果が、今ですか?
こんなもんですか?こんな最後ですか?」
って思うのもわかるよ
自慢じゃないけど、不幸自慢するなら私も負けないw
でもね、
矛先、違うくね?
自分より若い人への怒りに代えるのは違うくね?
その人より年老いてたら偉いわけ?
仕事出来なくても、年老いてたら偉いわけ?
親だから子どもより偉いわけ?
『ありがとう、ごめんね』さえ言えないくせに
何ほざいてんの('_'?)
って想うんだぁ
てか、ずーっと思ってた
小さい頃からずーっとね…
だから私はそんな大人になるくらいなら
大人の赤ちゃんでいい(数個前の投稿で何度も言ってますが…)
ちゃんと『ありがとう、ごめんね』が言える人で終わりたい
だから私はこれをずっとこれからも言い続けるよ!
例え孫にでも、例え知らない子どもにでも
感謝の「ありがとう」と
間違っていたら「ごめんね」を…
その私の一言で、すぐじゃなくても
誰かは救われるかもしれないじゃない?
だからきっと
この『ありがとう、ごめんね』は
とっても大きな力になるんだ
ねぇ?あなたは、君は言える?
言える人が一人でも増えたら
誰かのHAPPYも一つずつ増えていくと想うよ
『眠れないほど』
今は
君に会いたい…
君の声が聞きたい…
でも…
でも………
私が壊れたって
君は
私の君ではない
どうしたらこの気持ちを消せる?
私の記憶を
削除してくれ…
こんな
こんな私の人生の記憶など…
もう要らないや…
私の存在ごと
いっそ全部消してくれ
『夢と現実』
とは…
夢の中でのことなのか
それとも
現実に起こったことなのか
意外なことの出現に
それを半ば疑う気持ちでいるさま
なかなか言葉にすると難しいんですね…
私がまず、最初に思い浮かんだのは…
私の場合、様々な障害のせいなのでしょうか?
この『夢と現実』の境目が
分からなくなるときがあるんだ
世の中的には
想い描いた夢と現実とは違うってこと
みたいなニュアンスじゃない?
それは、なんとなく私も理解してるの
でも私の場合違うんだよな…
私は良い子やイイ人を演じすぎてきたせいかな?
どれが本当のことなのか、分からなくなるのね
なぜかって…
虐めも、毒親、毒姉、毒夫からの仕打ちも
あったことは間違いないの
でもね、本当に心底、
傷ついたり、苦しかった記憶はね
本能的に頭の奥底に、鍵がされた感じなの
例えばね、
転校してすぐの修学旅行
一見、教師にとっては良い子ちゃんグループに入れられて
バスに乗った途端に省かれた所までと、
最終日に他のグループのリーダーに救われた
この二つの記憶はあるのに
修学旅行の写真を見ても…何も思い出せないの
行ったはずで、写真も残っているのに
記憶が削除された感覚
きっと…脳が
「思い出してはいけない!
思い出したら壊れてしまうよ!」っていう
鍵をかけたんだろう
だからね
私の場合は『夢と現実』がごっちゃになりやすい
自分の都合の良いように脳がstopする
そして現実なのに
夢のような悪い妄想が、次々と浮かぶ
相変わらず取り柄も何もない厄介者だ
起こってもいない未来が今起きているかのような
とてつもない妄想…
これを被害妄想とでも言うのだろうが…
当の本人も私に関わる人間も
たまったもんじゃない
鍵をかけてもずーっと不安や恐れが
襲いかかる
鍵をかけても尚、障がい者になり
私は『夢と現実』がぐちゃぐちゃ
だから…
いつも孤独で空虚感が消えない
けどね…
この『夢と現実』を曖昧にしないと…
私は生きていけないの
鍵をかけても尚、
抱えきれないほどの現実に耐えきれずに
沢山の障害になってしまったんだもの…
私が弱いからいけないの?
だってさ…大抵の大人はそんな軽蔑の目で
哀れな目で私を見るんだ
私の何がいけなかったの?
誰か教えて…