「きらめき」と聞くと、人生の中で最も輝いていた瞬間という見方がすぐに思い付いた。我ながら単純な思考だとは思う。
私が現時点で思い描くきらめいた瞬間は学生時代が多かった気がする。思い返すと、あんなに一生懸命だったんだなと笑えるくらい遠い過去になってしまった。
ただ、きらめいていたと、思えるのは振り返って初めて気づく。では、今はどうだろう。私は今の自分を何十年後で振り返ったとき、「きらめき」を見つけられるだろうか。今の私は深く考えず、毎日同じことを繰り返している。今の私は過去の自分より成長しただろうか。
成長しなければ、私は人生の転換期を失う。わたしの「きらめき」は、学生時代だけになる。
些細なことでもイライラしてしまう…。
そして、また罪悪感で後悔する、という流れを繰り返している。
この負のワープを脱したいが、私は今を抜け出す覚悟がないのだろうか…。
神様が舞い降りてきて、こう言った。
お前はまだ成長しないのか、と。
私の当たり前はみんなと違う気がする。
そんな不安がいつもある。
わたしの当たり前と思っていることは、みんなにとっては異質なものかもしれない。
ネットで色々確認できる今の世の中は生きやすくなったけれど、人に聞く、確認するといった行動がなくなった。
ますます自分の当たり前が世間の判断とずれていく。
子供の頃は日差しの温もりが好きで朝が来ればカーテンをすぐ開け放っていた。明るい日差しで部屋が一気に光が行き届き、今日も1日頑張るぞ!という気持ちが湧いてきた。
しかし、大人になるにつれて、夜更かしが多くなり、肌の悩みも多くなった。平日は朝の日差しの中、仕事行こう…と気分が重く、シミが増えるのが嫌でカーテンが中々開けられない。休日の朝は、気が緩んで昼間で眠り、心地いいあさの日差しを逃してしまう。
ただ、この気持ちの変化は大人になったからというわけではなく、単に自分が今の生活を調整できず、気持ちを上げることができないためだ。変わりたいのなら、日々何か新しいことをすることがいいだろう。というあるダメ人間の現状の心情である。
シロクマ