夕日の光は鋭すぎると思う。
昼間は高いところにいる太陽が沈む時、一瞬。私たちと目が合う位置にやってくる時がある。その瞬間を、私は何より美しいと感じる。朝夕夜の写真を並べてどれが好きかと聞かれたら、間違いなく、彩度が最も高くて美しい夕日を選んでしまうだろう。だけど、太陽を直視すると眩しいのは当たり前で。夕時の色は特に目に沁みる。
だから私は、カーテン越しに見るのが好きだ。写真に撮られた夕日を見るのも好き。だけれど、カーテンに受け止められた光が、やわらかく辺りに散らばって、そこら一帯がオレンジ色に染まっているのを見ると、たまらなくなってくる。
そうして、オレンジ色に染まった手のひらを覗いて、私のメガネのフレームや、髪の毛や、くすんだような肌の色もすべてオレンジになっているんだろうとぼんやり思う。そんな暖かい夕時が好きだ。このまま、世界がずうっとオレンジ色に染められてしまえばいいのに。
みんながオレンジに染まったら、その中での差でまた互いを感じとりあうんだろう。あの人は暗い色、あの人はすごく綺麗な色。私はきっと暗い色なので、このままの方がまだいい。新しくレッテルを貼り直されるのは複雑な心境だし。
夜が更け上がってくる、月もオレンジだとなんとなく嬉しくなる。黄色が通常版だとすると、レアなイメージがしてなかなかに気分がいい。今日の月はどんな色でどんな形をしてるんだろう。月の形がどうあれど、私はそのやわらかな光が好きだ。
『涙の理由』
今日で何回目だろう。涙を流すっていうのは。
男は人生に三度しか泣くことを許されないという言説を聞いたことがある。私は男の人じゃないからそれを適用できない。それに、軽く十倍は泣いてしまっているから論外だ。涙は女の武器だというのも聞いたことがある。武器というよりかは、自らの内側から酸化させていく錆のようにも感じる。
何が言いたいのか。そう、私は泣きたくないんだ。しかし、今会社の帰り道、終電より辛うじてふたつ前の電車に乗って揺られている。周りに人なんておらず、車両には私一人。こんなに頑張っても、所詮一人だと思うと、自然と涙がこぼれた。向かいの窓に、ファンデーションも割れてパンダ目のおばさんが映っている。あんなの私ではない。あれは、錆びかけた社会の歯車だ。毎日毎日働いて、メンテナンスされる暇すらない社会の歯車。かわいそうでちっぽけな一パーツ。
『次は終点、終点』
「……私、か」
そんな、哀れみを向けていた像は私だった。アナウンスがこだまする。その瞬間、立ち上がらなければ行けないのを思い出す。その像も立ち上がるものだから、私はありありと理解した。
家に帰ると、メイクを落として、即席のカップラーメンを平らげて、シャワーとハミガキを済ませて、さっさと布団に転がる。さもなくば明日の朝の目覚めが大変になってしまうから。
いつもと同じように横向きに眠る。今日もまた朝起きたら顔がびしょびしょなんでしょう。そうして、洗われる暇もなく日々を過ごす枕についた塩分を、頬で感じながら目を瞑った。