愛があれば何でもできる?
これは個人々の愛の重量で決まると思う
ある人には精一杯の愛が
ある人には1/10にも満たないかも知れない、
なので
究極の愛であれば何でもできると思う
どんな汚い手を使っても
人を陥れることさえ厭わない
それが誰かを愛する人を救う為なら
でも……それって愛がバケモノの様相となり
毒のある花のように、怪しく妖しく咲き乱れ
その人を怪物にしていくのではないかと思う
後悔
経験してみたかった
その世界の住人になってみたかった
ほんとに…それだけ
その世界のルールも知らず
傍観者がそのまま、あのソファに座っていた
テレビの中に座っている感覚の様な…
観る側から観られる側の人になった
後悔なんてしていない
ただ忘れていた…私は人が苦手だった
笑顔も作れない
だけど私は小さな頃からお喋りな女のコだった
それが私を助けてくれた
何に助けられるか分からないね世の中
子供のままで
子供のままで、ずっとその年齢で居られるとしたら、保育園の年長さんがいい
ずっとその年齢をループして一生終えるのが
私の人生だよと言われたら私はそれを受け入れて毎日々同じ事の繰り返しをしても
周りの人がどんどん年齢を重ねて変わって行っても、それが私の人生なら それで良いと思えそう
モンシロチョウ
「あの人はパロパロだからね」
もう70歳もとうに過ぎた所謂「場末のスナックのママ」と言う初老の厚化粧の女性は
これまた場違いな
結婚式の披露宴に着ていくようなピカピカのワンピースを着て初出勤した私に向かって小声で言った
それは注意と言うよりもあのちょっと小汚い自転車に乗っていつもやって来る、白髪の肩まで伸びている長髪のこれまた初老のお客さんの
若かりし頃のモテ具合を称賛しているかの様だった
パロパロうんとてもしっくりくるので
私は心の中で『元パロ爺』と呼んでいた
この初老同士は片やスナックのママとして
片や今は年金生活のいつも五千円札だけ握りしめてこの店にやって来る『元パロ爺』とは
昔からのお客さんという距離感が
いい距離感で喋るのだ
他のホステスと言えば
所謂ブスに属するプラス可愛げはない
貞操観念は薄い
お客に女にしてもらって来た様な人生だそうな
モンシロチョウと言うお題でパロ爺やスナックの事を思い出すなんて…たまには懐かしくて良いなと思った