「愛を叫ぶ」
大好きな人に声を荒げてしまった
何故かと言うと、
勝手な解釈をして対話を拒んだからだ
わたしはこのまま話し合いを終わらせたら駄目だと
声を大きくして叫んでしまった
苛立って大きな声を出してしまったのは良くなかった
けれど分かって欲しかった
対話で歩み寄ろうと言う時に
それを拒んで「もういいよ」と言われたら
わたしは黙っていられなかった
自分を正当化しているだけかもしれないけれど
これもひとつの愛の形だと思うのだ
人が愛を叫ぶ時
好きだ、愛しているだ以外の言葉で結構叫んでいると思うよ
「モンシロチョウ」
東京郊外のベッドタウン
今じゃ家ばかりになってしまったけれど
40年ほど前にはまだ畑がそこそこ残っていた
家の庭を挟んだ離れの裏に畑があった
春になるとその畑に
たくさんのモンシロチョウが飛んできた
蝶々は何をしにきていたかと言うとキャベツの葉に卵を産んでいた
私はよく畑にいってそれらを観察していた
卵が孵化し小さな幼虫がキャベツの葉を食べてだんだんと大きくなる、それからサナギになって蝶々になって飛んでいく
一連のあたりまえのようでいて大切な命の循環をみていた
子供の頃の記憶がふとよみがえった
ありがとう
「生きる意味」
いいテーマだ
生きる意味は、そもそも無い
人は何かにつけても意味を見出そうとするからよくない
この辺りの考え方で私が参考にしたのは
ドイツの心理学者ヴィクトール・E・フランクルの
「虚無感について」だ
その中で生きる意味は問うモノではなく問われるモノとある
“生きる事”が私になにを問うているのか
人生の主体は自分には無く”生きる事”自体にあるのだ
つまりは生かされていると言う事だ
日々様々な事があるが私はそれは全て私を試されていると思っている
日々の選択の行き着いた先が自分の人生だったのだ
諸行無常
私たちはこの世界の小さな一部でしかない
永遠の時間の中でほんの一瞬、生きているのだ
楽しんでいこう
気楽に
「桜散る」
初恋はだいたい実らない
初めて彼女ができたのは大学4年生の時だった
バイト先で知り合い何度か食事へ行き
付き合い始めた
バイト前に公園で待ち合わせたり
彼女の家に遊びに行ったりした
別れは突然だった
一本の電話が鳴り別れを告げられた
話し合いの余地は無かった
彼女の気持ちは離れていた
わたしの桜は散った
「夢見る心」
不便を受け入れる
あるモノでなんとかする
見栄をはらない
大きな夢を持つ
最後まで諦めない
ここぞと言う時にかける
願い事を心にとめる
未来はやって来る
主役は人生