小学6年のころの自分は何かと1人になろうとしていました。とりとめのない話で盛り上がる経験はあったのですが、途端にそいつらがくだらないもののように思えて、本を読んでいたほうが有意義だと考えてのことでした。
心に余裕がなかったのかなと思います。自分は中途半端に頭が回るものですから、今でもいろいろこじらせてしまいます。たまには何にも考えずに生きてみたいです。
バカは風邪をひかないというのはある意味では正しいといえます。とんでもないバカは自分が風邪にかかったということにすら気づかないから。
晩秋。散歩道。白樺。落葉。
白樺の柔らかな赤はだんだんと剥がれ、黒白の肌を晒し始めました。細い枝には紅潮の面影はなく、黒い斑点が目立つ。そうなると途端に魅力を感じなくなって、
大雪。
窓辺で、ふとあの細身にはさぞこれは重いだろうなと思うと急に気になりはじめて、早足でした。しばらく見ないうちに白樺はすっかり大きくなっていました。薄い白妙を羽織り、白樺は見事な雪化粧をしています。ああ、そうか、待っていたのだねと白樺の肌に触れる。もたれると、冬芽は冬の日差しを受け今にも咲きそうでありました。
長い坂をのぼりきると眼下の街はすでにクリスマス気分で、青、緑、橙、賑やかな色が垂れ下がっていました。おひさまの光とは違う夜の光です。ぼやけ同士の衝突が新しい色を生み、街の隅々に活気の色がひしめいています。群衆は色鮮やかな絨毯のように見えました。
恋とか愛とか、そういうのがわからないという疑問はいかにも青臭いもののように思えますが、いかんせんバカにはできないなと思います。この地球上のすべてのカップルのうちきちんと恋と愛を認識しているのはいったいいくらいるのでしょうか。少なくとも僕はわかりません。自分は交際経験はありますがそのどれもが恋と愛の正体をはっきりさせるものではありませんでした。よくわからないものはなあなあにして生きるというのもアリですが、性分でそれをなんとなく気持ち悪さを感じてしまうのです。もしみんなが恋と愛の認識をしないままそれらしいことをしているとすれば、これは恐ろしいことです。愛を注ぐとかいう言葉がありますが、私たちはいったい何を注いでいるのか。まあ、自分なりの答えが出せたらそれが一番だとは思うものの、やはり恋愛はむずかしい。