授業が楽しかったと思う。
ほんの、一日前まで。
何も変わらないはずなのに、途端につまらなくなって、
こっそりと忍び寄る眠気から目を逸らすように
シャープペンシルをくるくると回す。
板書を見ようとして、
数席前の少しだけ猫背の背中に自然と目が向いた。
1時間目であるものの既に舟を漕いでいる人が多い中で、
しっかりと起きている彼女の頭はひとつ目立って見える。
ノートを取る彼女の小さな背中をぼおっと見つめていると、肩につくかつかないかぐらいの微妙な髪が前へ垂れて、
うなじが少しだけ見えた。
そのことに謎の罪悪感が湧き上がって、誰にも気づかれないようにそっと視線を黒板へとずらす。誰も見ていないだろうが、煩悩を消し去るように無心に板書を移せば、幾分か授業に集中できるような気がしてほっとした。
ぽき、とシャーペンの芯が折れる。カチカチと数回押して芯を出そうとして、全く出てこないことで短さを悟った。ボタンを押したまま芯を引き抜いて、とりあえず机の上に置く。授業が終わる頃には机の下かどっかに落ちているだろうけれど、そこは教室の掃除係の仕事だ。
替えのシャー芯を出そうとして、径が合わないことに気づいた。俺がいつも持ってるのは0.3mmの芯で、今使っているシャーペンの芯は0.5mmだった。
あ、と気づいて、俺はまた数席前の彼女を見る。
授業が途端につまらなくなった理由。教科書も先生も話の内容も全く変わっていないのにつまらなくなったということは、単純な話、それ以外が原因のはずで。
隣で、折らないよう慎重に取り出そうとするあまりシャーペンのケースと睨めっこする彼女の姿を思い出した。俺が0.3mmの芯をあげる代わりに0.5mmの芯は彼女がくれる。そういう約束事でもない、いつの間にか“そう”なっていた、ただの数回のやりとり。多分、俺はこういうやりとりが楽しかったんだろうな、と空っぽになったシャーペンのボタンを押しながら考える。授業が楽しかったわけではないのだ。勉強が好きとは言い切れないんだから、よく考えてみれば分かることだったけれど。
席替えをしたのは昨日だ。俺が後ろの席に、彼女は前の席に。うちは学期テストの度に席替えをするようになっているから、チャンスが来るまではまだ日にちがある。…例えチャンスが来たとて、もう一度隣になる可能性なんてずっと低いけれど。俺は空っぽのシャーペンを筆箱にしまって、代わりに0.3mmを取り出す。ただの意地だけど、新しいシャー芯は買わないことにした。あわよくば、また君と一緒に授業を受けて、ケースを睨む君の顔を横から見ていたいから。
「君と一緒に」 白米おこめ
幸せとは。
そんな物、考えだしたら終わらないだろと
書店に並ぶ本を憂鬱そうに見つめる。
結果が分かってるくせに一応手に取ってしまうのは、
やはり俺も幸福を求めるただ一人の
凡な人間だということか。
どんな人が幾ら幸せについて説いたって、
それは本当に幸福を求める方法ではないのだ。
自分の幸福は自分で掴むと、昔から音楽だのなんだので
よく歌われているが、俺はその実そうだと思う。
幸福を感じるのは自分だ。言い換えれば、幸福を感じられるのは自分しかおらず、“幸福”そのものの感情は他者から与えられるものではない。
幸せとは。
その本を書いて、読んで、ああこれこそが
幸せだと感じるためには、
著者が自分である必要があるだろう。
他人から与えられる「幸福の定義」は、所詮他人のものでしかなく。これをすれば幸せになれる、だなんて絶対的な方法はないのだ。本や何かで見る幸福の近道は、“一般的に皆が幸福を感じる方法”というだけであり、“私が幸せを感じること”とは違う。
長々と話したが、言いたいことはこうだ。
他人の幸せの基準を見ない方がいい。
それはその人の物差しでしかない。
もし自分が幸福な暮らしをしたいのならば、些細な幸せに
自分の物差しを当てる事を大切にした方がいい。
幸せは見つけることだ。その点で言うと、四つ葉のクローバーとは幸福を具現化したようなものだと思う。
小さな幸せを見つけられた人が幸福になるのだ。
日々が退屈だと言う前に、足元をよく見た方がいい。
そして、もしあなたが自分を不幸だと思うのならば、
その時は小さな小さな幸せを積み上げて、
不幸とのバランスをとり、天秤を動かすしかない。
不幸は消せない。あなたの感情は、
あなたがそう思わない限り消えない。
あなたが不幸になった時よりも、ずっとずっと
長い年月をかけて、幸せを積み上げるしかない。
幸福と不幸が、同じくらいになってから、
小さなクローバーを見つけて「幸せだ」と
やっと感じられるようになるから。
『幸せとは』 白米おこめ
本当に些細なことに幸せを感じたモン勝ちだと思う
君の目が開く時のその光が眩しすぎてそれはきっと
「日の出」 白米おこめ
今年の抱負は生きること。
そう書こうとして、ああ、死ぬ時に
「人生最後の抱負を達成できなかった」と
後悔したくはないと思って、書くのをやめた。
今年の抱負は生を全うすること。
楽しく、悲しく、笑って、泣いて、
ただ細々と、時に彩って、のうのうと生きること。
例え死んだとして、その時まで生を全うしていれば
よしにする。
ああこれが良いと、また、去年と同じ抱負を掲げて、
薄っぺらい紙に筆を滑らせるのだ。
今年の抱負が怖い。達成できぬことが怖い。
ただ余りにも簡単であると、
達成した後の日々が灰色になってしまう。
だから、こうする。
「今年の抱負」 白米おこめ
いい文章いっぱい書きたいな
辰の鱗が剥がれる、剥がれる。
風に舞い散るその輝きに目を奪われている間に、
硬い深緑に覆われていたその下の眩い白が現れる。
きらりひらりとその身をうねらせて、
地上へと向かい、散りながら小さくなっていく。
とんとその身が地に這う時には、
一匹の龍は白蛇へと変幻していたのだ。
「新年」 白米おこめ