「すッ、…す、ススキです」
俺の脳内に、一面のススキ畑が現れ……
………やってしまった。
ガヤガヤと騒がしい居酒屋が、一瞬静まった気さえした。
脳内のススキ畑は対照的にざわわ、ざわわと揺れ……いやそれはサトウキビだった。うん。俺の脳内に沖縄の風景が…じゃなくて、そんなのはもう関係ないんだ。大事なのは、今この状況をどう切り抜けるかであって。
…よし。状況を整理しよう。
①、俺は職場の後輩と居酒屋に飲みに来た。
②、俺は彼女の事が最近気になっている。
③、気になりすぎて、口が勝手に好きと言いかけた。
④、ススキで誤魔化した。
脳内のメモ帳に書いたが何だこの流れは。これでも営業か?俺は。商談相手だったら完全にやらかしてる。いや好きな相手だとしたらもっとやらかしてる。
まずなんだよススキって。誤魔化すにももっと他の言葉あっただろ俺のバカ。「すき焼きで〜す」ほらすき焼きとか!!どうすんだよススキって。会話どう繋げろっつーんだよ。ほら彼女も固まってる…
「えぇと……ススキなんですか?」
おいどうするんだよ。ススキになるかならないかの二択が迫られてる。俺に残された道は“はいそうですススキです”か“いやススキではないです”しかないんだ。あ。
「す、鈴木……そう、鈴木とは上手くやれてるかなって…」
ありがとう鈴木。職場に鈴木が居て助かった。ススキと鈴木なら聞き間違いで通せるはずだ。それにしたって最初の鈴木ですはおかしいけどそこは目を瞑ってくれ頼む頼んだ。
「あっ、鈴木さん…そうですね、色々教えてくれます」
サンキュー鈴木。いつも書類に凡ミスが多いが許そう。今度缶コーヒーぐらい奢ってやろうか…
「…でも、その…なんというか、距離が近くて」
は?…待て待て待て待て。雲行きが怪しい。とりあえず脳内で鈴木にあげた缶コーヒーを取り上げる。やっぱ無しだ。エア鈴木がしょげてるがダメだ。お前にはやれない。
「同じ距離でも、先輩は良いんですけどね」
…今なんて?困ったように眉を下げて笑う彼女は勿論凄い可愛いんだが、いや、今なんて?場合によっては鈴木に缶コーヒーどころか自販機を買い与えるレベルまで感謝するぞこれ。え?俺なら良い…俺なら良いって言った?この子。
「…私も、ススキですかね?
…意図を読み間違ってたら、恥ずかしいですけど」
箸を落とす。持ってるのが箸でよかった。というか何にも掴んでなくて良かった。もし電話でも持っていようものなら鍋の〆になっていた。
俺は忘れていた。彼女が営業の中でも優秀な新人であることを。営業に大切なのはトークスキル、あと…相手の思考を読む力だとか諸々。彼女は相手の思考を読む力が武器なんだなよく分かったやめて欲しかった。こんなところでこんな奴相手に使わないでくれ。そんな俺の脳内で、ススキ畑は変わりなくそよいでいる。その揺れを見つめながらススキの花言葉には「心が通じる」なんてあったなとか思い出して、俺はもう一度、告白には似合わない植物を引っ提げて彼女の目を見た。
「ススキ」 白米おこめ
脳裏を虫が這いずり回っている。
通った足跡が極彩色に色付く。
なめくじ。バッタ。蜘蛛。
かんじ、片仮名、ヒラガナ。
混ざる。色が混ざる。目の中に色が。移る、移る。
サインポールの目。ロイコクロリディウムの温床。
走る。脳裏に走る。
「脳裏」 白米おこめ
意味がないことなんて、この世に存在するのだろうか。
ありきたりで欠伸が出るような始まりだが、
本心からそう思うので仕方ない。
たっぷりと余韻を持ったのちに、涙目で読んでくれ。
人の脳は記憶をする。
永久に覚えているとは言えないが、それなりに。
私は、脳自体には全ての記憶がどこかにあると思っている。
自分が思い出せないだけで、
捨てない限り、物は何処かに存在しているはずである。
見えないのは、それを置いた場所を忘れるからであって。
物自体が失くなっている訳ではないと、そういう理屈だ。
大事なのは、物を置いた場所を思い返す“きっかけ”である。
その物自体を忘れてしまっても、何かの拍子に、
ふと思い出せるきっかけ。
卒業アルバムで思い出す友達の手紙とか。
窓から見える雪で思い出すスノードームとか。
そういうもの。
それは物であったり、光景であったりするが、
全てにおいてその根底にあるものは“記憶”だ。
全ての記憶が、他の記憶を忘れないための助けになる。
古い記憶が、新しい記憶を覚える為の道標になる。
これはわたしの自論。
全てのことに意味があると思っている。
全てのことは、何処かで何かの足掛かりになるはずだと。
あなたはどうだろう。
意味がないと思うことがあれば、教えて欲しい。
その事自体が、わたしにとって意味があるから。
「意味がないこと」 白米おこめ
こんばんは。
では、さようなら。
「あなたとわたし」 白米おこめ
霧のような小雨だ。
傘を差す労力>雨を身体で受ける、の。
方程式が成り立った。
閉じた傘を持ったまま軒下を抜ける。
雨の感触はまるで、夏に嬉しい道端のミストのようだ。
生憎今は夏ではないのだが。
歩行者用信号が点滅したのが見えたため、足を止める。
道ゆく人々は傘を差しているので、
横着をしているのは俺だけらしい。
丁寧な暮らしをしている人が随分多いようだ。
「今帰り?」
振り返ると丁寧な暮らしがいた。間違えた。同期がいた。
部署は違うが、丁度帰りの時間が一緒だったようだ。
俺の隣に並んだ彼女は、よいしょ、と傘を閉じた。あ。
「悪い、まだ雨降ってる」
俺が閉じてたから勘違いしたんだろう。雨が柔らか過ぎて、傘にぶつかる音が聞こえないせいもあるだろうけど。それにしたって戦犯は俺でしかない。
「知ってるよ」
ばさばさ、と無遠慮に傘の水滴を飛ばしながら彼女はなんて事ないように呟く。おい、スラックスに飛んでんだけど。俺一応スーツなんだけど。まぁ元から濡れてるしいいのか……じゃなくて。知ってるって言ったか?こいつ。
「駅までいっしょに濡れて帰ろうよ」
にこ、と。一瞬目が合った彼女はあまりの衝撃に動けなくなっている俺を置いてまた傘を見ている。仕上げとばかりにとんとん、と傘の先端で地面で叩いて水を落とす。俺が呆けているうちについにマジックテープがくっつけられ、傘は完全に役目を終えてしまった。俺の脳と同じように。
青になったよ、なんて微笑まないでほしい。いっそのこと俺が傘を差そうか。しかし彼女が差さなければそれはただの相合傘でしかなく、つまるところ詰んでいる。チェックメイトだ。今まで気にならなかったはずの雨が、揶揄うように俺の頬に当たった。
『柔らかい雨』 白米おこめ