私の今日の夢は、推しのライブチケットが当たって、嬉しくなり、ライブ当日にステージへ乗り込んで逮捕されるという夢だった。正夢になって欲しくて、なってほしくないような夢。ずっと追っかけていた推しを目の前にするとやはり我を忘れてしまうのだろうか。推しの目に一瞬でも写った私は、推しの目を通して、まるでいつもテレビで推しのmvにドアップで出てくる目のワンシーンを見ているかのような感覚を覚える。憧れの人が私を見ている。不審者でもなんでもいいような気がして、迷惑行為をして気を引こうとする人の気持ちがその瞬間にわかる。こんな分かりたくもないような気持ちがわかるなんて、人間の本質は一緒なのだ。行動するか、否か。私は、夢の中では行動する側だった。夢は正直だと思う。まあ、嘘だけどね。
推しのライブチケットが当たりますように。ついでにこれを読んだ人の推しのチケットも当ててください。コツは、ここでちょっと徳を積んでおくこと。
三日月 🌙 何故、三日月なんだ
今年は珍しくサラサラとした雪が降り積もる。気がついたら、雪だるまを作る歳ではなくなっていた。しかし、何歳になっても時間とともに降り積もる雪を見るとワクワクする。きっと降り積もる雪が私を幼い時に戻してくれるのだろう。雪が降っている今だけは戻ってもいいのかもしれない。年甲斐もなく雪だるまを作ろうと外に出た。ドアを開けて、外の空気を吸った瞬間、肺が凍りそうになる。心は、幼い頃に戻れても、身体はもう戻れないのであった、悲しいかな。
キモと一緒に過ごした時間は、忘れない。
大好きなキモ
人によっては、グロテスクで受け入れられない時もある。
でも私は、この冬一番一緒にいたい。
美味しく食べてあげるからね。
幸せ 私にとっての幸せってなんだろうか。私は、前職看護師をしていて、死に向き合い生きている人々を日々見ていた。少しでも良くなると信じて、辛い治療や痛い検査を震えて怖くてもそれでも自分の身体の奥底にある希望を信じて生きようしている人々を私は、ただ看護していた。私は、ただの傍観者で部外者だった。私は、人々の生きたいという強い真っ直ぐな思いに生気を吸い取られているような気がした。なんでそこまでして人々は生きようとするのだろう。
何も考えず生きられていること自体が私は幸せだと思う。