パスタを茹でるという行為ひとつ取ってもその人の人となりが表れる。私の場合まず湯をわかしパスタを突っ込んだら箸でひと混ぜ。時間をおいてパスタが大きくなっているように見えたら口にいれてみる。うん、これはまだ芯が残っている。そういう場合がほとんどで、その後2分ほど待つ。その間何をしているかというと、パスタの味付けを考える。卵を混ぜてカルボナーラ風にするか、もしくは塩コショウでシンプルなパスタにするか、もしくは冷蔵庫にある辛そうな調味料を使うか大体その辺で迷う。今回は辛そうな調味料を使いたい気分だ。パスタをお湯からあげるとき頭をよぎるのは、排水溝に流してしまうこと。パスタは意外とつるつる滑るのだ。お皿まで移すことができればあとは楽勝さ。オリーブオイルを絡ませて辛そうな調味料をお好みで。これが私の人となり。今日は雨だけど散歩の日らしい。聞こえてくる雨の音に混ざるカップルの会話が、私のお昼の休息に物語らしさを加えている。そう思うことにしておこう。だってパスタはうまいんだから。
#束の間の休息
久しぶりに昔のプレイリストを聞いていると、あの時みたいに、見ているはずの景色が見えてない感覚が甦っていた。今まで触れられなかったのは他に夢中になれるものができてしまったから。
でも進む方向が分からなくなってしまった気がして、あの頃に戻りたくなったんだと思う。こうして結局自分の居場所になるものが私のありのままを受け入れさせてくれる。捨てられるわけないよ。
#いつまでも捨てられないもの
待ち合わせの日が近づくにつれて憂鬱になる。この休みが自分のためだけの時間ならこんなに悩まないのに。読んでる本の内容が頭に入らなくなって天井を見上げてみる。
何着ていこうか、何話そうか、奢ってもらいそうになったらどうやって断ろうか、話しついていけなかったらどうしようか、あの話題は触れない方がいいかな、どのくらいのテンションでいけばいいのかな、、、、あー、きりがない。
浮わついてるけど、この機会を大切にしたい分怖さが勝る。明後日、会ったことを後悔するならその分だけ自分を磨く力になる。まだチャンスが残るなら、自分にもっと自身をもっていいってこと。成長ってこういうとこからだろ。結果ダメでもいい、その後気持ちを新たに切り替えて、見える景色が広がるなら、いい結末があるに違いない。
今日貸し出しの自転車を見かけた。普段は見かけても手を出そうと思わないけど、どうしてか不意に乗ろうか迷った自分がいたんだ。その時は使い方分からないし、準備面倒くさそうだから使わなかったけど、こういう自分の心のちょっとした変化に耳を傾けることって大事なのかも。意味の無さそうな変化でも自分の人生に加えてみることで予想外のスパイスになったりして。
#自転車に乗って
焦りを見せたらダメだって気がして、みんなの前では穏やかなふりしてる。心はこんなにも落ち着かないのにね。そうしてるうちにこんな時間になって、締め切りなんてとっくに過ぎてるんだ。でもそうなってからやっと正直になれる。
#うまくいかなくたっていい
あなたは誰の期待を背負っているのか。その期待を私に向けないでくれ。
あの頃から私は期待されることが怖くなった。解放されたと分かった時、この自由を自分のために使いたいと思った。そうしたら、私の自由を奪い得る存在全てに対して距離を置くようになってしまった。それは自分の意思からではなく本能的に危険を察知して我が身を守ろうとする生理的反応のようである。
今日もあなたを遠ざけ、傷つけた。あなたは怒っているだろうか、それとも悲しんでいるだろうか、呆れているだろうか。と、そんなこと考えたくもない。
この気持ちを分かってほしいんじゃない。誰も近寄せない方が楽になれることを知ってから、思い出したことがある。それはずっと昔、まだ社会に生きるということを知らない頃の素直な気持ち。今になってその気持ちを大事にしようと思えた。
#蝶よ花よ