久しぶりに昔のプレイリストを聞いていると、あの時みたいに、見ているはずの景色が見えてない感覚が甦っていた。今まで触れられなかったのは他に夢中になれるものができてしまったから。
でも進む方向が分からなくなってしまった気がして、あの頃に戻りたくなったんだと思う。こうして結局自分の居場所になるものが私のありのままを受け入れさせてくれる。捨てられるわけないよ。
#いつまでも捨てられないもの
待ち合わせの日が近づくにつれて憂鬱になる。この休みが自分のためだけの時間ならこんなに悩まないのに。読んでる本の内容が頭に入らなくなって天井を見上げてみる。
何着ていこうか、何話そうか、奢ってもらいそうになったらどうやって断ろうか、話しついていけなかったらどうしようか、あの話題は触れない方がいいかな、どのくらいのテンションでいけばいいのかな、、、、あー、きりがない。
浮わついてるけど、この機会を大切にしたい分怖さが勝る。明後日、会ったことを後悔するならその分だけ自分を磨く力になる。まだチャンスが残るなら、自分にもっと自身をもっていいってこと。成長ってこういうとこからだろ。結果ダメでもいい、その後気持ちを新たに切り替えて、見える景色が広がるなら、いい結末があるに違いない。
今日貸し出しの自転車を見かけた。普段は見かけても手を出そうと思わないけど、どうしてか不意に乗ろうか迷った自分がいたんだ。その時は使い方分からないし、準備面倒くさそうだから使わなかったけど、こういう自分の心のちょっとした変化に耳を傾けることって大事なのかも。意味の無さそうな変化でも自分の人生に加えてみることで予想外のスパイスになったりして。
#自転車に乗って
焦りを見せたらダメだって気がして、みんなの前では穏やかなふりしてる。心はこんなにも落ち着かないのにね。そうしてるうちにこんな時間になって、締め切りなんてとっくに過ぎてるんだ。でもそうなってからやっと正直になれる。
#うまくいかなくたっていい
あなたは誰の期待を背負っているのか。その期待を私に向けないでくれ。
あの頃から私は期待されることが怖くなった。解放されたと分かった時、この自由を自分のために使いたいと思った。そうしたら、私の自由を奪い得る存在全てに対して距離を置くようになってしまった。それは自分の意思からではなく本能的に危険を察知して我が身を守ろうとする生理的反応のようである。
今日もあなたを遠ざけ、傷つけた。あなたは怒っているだろうか、それとも悲しんでいるだろうか、呆れているだろうか。と、そんなこと考えたくもない。
この気持ちを分かってほしいんじゃない。誰も近寄せない方が楽になれることを知ってから、思い出したことがある。それはずっと昔、まだ社会に生きるということを知らない頃の素直な気持ち。今になってその気持ちを大事にしようと思えた。
#蝶よ花よ
ぼぉ~ん
ぼぉ~ん
「ぼぉ~ん、ん、ぼぉー」
低すぎ、出ない。
ってなるのかな、
それとも結構高かったっけ?
今年の年明けに聞いたはずの鐘の音を思い出そうとして、年明けは車の中にいたから聞けていなかったことを思い出した。
あの頃私は久しぶりに会った兄との慣れない会話に疲れて、早く実家に着かないかと、兄との二人きりの空間から解放されることだけを待ち望んでいた。私がしゃべりたがらないのを察したのか、彼は音量を上げて音楽を聞き始めた。下手くそな口笛なんかかまして、これじゃ音楽鑑賞もろくにできない。ま、私が嫌いな運転をしてもらってるだけありがたいか。あと40分はこんな状態が続くなら気持ち穏やかにもしてたいし。
と、そんな年明けだったな。鐘の音も聞いてないのに聞いた気になってたのは、なんでだ
#鐘の音