産んで良かったのか。
あの子たちをこの世に出して良かったのか。
自分が中心でいたかった10代から脱した時
自然と子供を欲しくなって母親になることができたけれども。
私は少しも
あの人たちを大切にできなかった。
勝手な思い込みで接して
悲しい思いをさせてしまう。
その悲しい顔が脳裏に浮かび
子の寝顔を見て涙ぐむ。
今は
その若かった私ごとを眺める。
全てを包んで微笑みたい。
時を経て
大人になった彼らに新たに思う。
こんな世の中に出してしまって
本当に良かったのか。
「ごめんね」
大切な者たちに思う。
でも。
私はずっと幸せだよ。
どんな世の中になろうとも
それぞれが幸せで生きられますように。
最後の最後は
それだけを願う。
夏でも長袖だねって云われる。
しょうがないよ。皮膚が弱いから。
それに半袖焼けが好きじゃない。
理由は一つじゃない。
そういえば、和服に半袖ってない。
浴衣だったり絽とか紗とかはあるけれど。
斬新な着方はずいぶんと増えたのに、
そういう加工はされてないなぁと思う。
家事をする時は重宝する。
太陽が当たるところでは遠慮したい。
一長一短というのが私にとっての半袖。
その半袖の季節は私の大好きな夏だ。
人々の腕が出だす今、
弾ける世の中を想像してワクワクする。
もうあの頃のような青春なんて無い。
そう分かっていても
とっても楽しみで待ち遠しい。
想像するだけで楽しいんだ。
今年は
素敵な半袖を一枚を買ってみよう。
それは自分の中にあるもの。
受験時、これ以上できないというくらいの努力をしたけれど、思うような結果が出ず苦しんだ。
大昔、大失恋をした。
その後、数ヶ月間眠れなかった。
何回も流産やら子宮外やらを繰り返した。
医者には不育症だから産めないよって
吐き捨てられた。
その時どきの私は
それぞれの地獄を生きたと思う。
ひたすらつらかった。
すごく覚えてる。
なのに今の私はつらくない。
いや、早起きはつらい。
でもキッチンドリンカーの時は
天国に居る。
なあんだ。
同じ私が天国と地獄を
勝手に行ったり来たりしてるだけじゃん。
きっと人には
『いつも同じ単なる私』にしか
写ってないだろう。
だとしたら
天国も地獄も同じにしたらいい。
どうせ自分の中にしかないのだから
私が好きな方に連れてってあげたらいい。
私にはその力が
きっとあるから。
猫は。いつも天国しか目指してないな。
上がれない時は
猫になってみよう。
月か。星じゃなくて。
満月の日は、生き物の氣が昂る。
喧嘩も多くなるし救急車も多く出る。
スピリチュアルの観点からはそうらしい。
そういえばオオカミも満月の夜には遠吠えするってイメージがある。
不思議なもので、
何故か満月には拝みたくなってしまう。
それ以外の月には無い、
まんまるのお月さんには
説明の付けられない神々しさがある。
誰に教わったわけでもない。
なのにきっと多くの人がそうだって思う。
アルゴリズムでないこと
科学的根拠がないものは
今の世の中では排除される。
でも結局科学的根拠なんてしょぼしょぼだから
災害に慌てふためいてる。
第一
数字なんて人間が後から作ったモノ。
そんなモノで自然が計れてたまるかと思う。
身体の部位には『月』が付く。
五臓六腑はまさしくそれ。
その五臓六腑からの説明のつかない勘の方が
私にはしっくりくる。
だから
『そんなことしても無駄だよ』
って云われても
大きな満月に出会うと手を合わせてしまう。
空の向こうと繋がっている勘がそうさせる。
願いなんか無くっても。
『熱帯雨林のスコールのような大雨が
1,000年降り続き地球はできました』
プラネタリウムでそう云っていた。
その自然の産物として
今の私が此処に在る。
生き物の根っこなんて結局そんなもの。
そこからはみ出て意識とか頭脳とか
そういうものばかりを崇める今に
嫌氣が差す。
『異常気象です』
TVでは二週間分気温が高いと
もうそれを云っている。
元々地球はそんなもの。
そう思ったりしないのかな。
汚した分の罰を受けながら
これからのことをもっと純粋に考える。
金カネって
あの世へ持っていけないものに執着し続けるんじゃなくて
地球の一部として生きること。
電気自動車ばかりにしたのも
どこかが得をするだけになってない?
降り止まぬ雨の日は
少し止まって考えよう。