知りたくなかった。
世界にこんなにも色が溢れていただなんて。
『わたし』と『それ以外』。世界はそれだけでしかなかった。そこに鮮やかな色彩なんか必要なくて、私はただ、小さな部屋に閉じこもるように。真っ暗の中、息を潜めて生きてきた。
自分の呼吸と、心臓の音。
耳に届くそれらが早く終わってしまうことを。そればかり願って生きていた。
けれど。世界は開けた。差し込んだ光と共に、眩い色彩が瞳に飛び込んできた。
すぐに瞳を閉じようとした私の手を引いて、『貴方』という色が差し込んだ。
知りたくなかった。部屋の外には私の知らない世界が、広く果てなく存在していて。さまざまな彩に飾られて、きらきらと色めいている。
柔らかな桜の色。水平線を分つ二つの青。燃えるような紅葉の絨毯。降り積もる雪の無垢。
廻る季節に装いを変えながら、世界の色は目まぐるしく変わっていく。
美しいと思った。見惚れて、心奪われて。まだ見ぬ景色、これから出会う景色を想って心が躍る。
知ってしまった。世界の美しさを。
気づいてしまった。色めく心をくれたのは、他でもない貴方だということを。
隣で微笑む、貴方の心音がいつまでも続くように。
鮮やかに廻る世界の色彩。その中にいつまでも、貴方の色が有るように。
そんな小さな願いを抱くようになった。
けれど、世界は、急激に閉じてゆく。
真っ黒に塗りつぶされるようにして、貴方は突然消えてしまった。
知りたくなかった。失うという事がこんなにも激しい痛みを伴うなんて。息の仕方を忘れるほどに、流せる涙があるなんて。
貴方がいない世界の色彩を、愛することなんてできない。それだけの絶望だった。それだけの悲しみだった。
だというのに。
想い出の場所に立って、私は打ちひしがれる。
貴方という色を失くしても、世界はちっとも色褪せない。咲く花は美しく、海も空も果てはなく。見渡す視界の一面に、鮮やかな色が満ちている。
貴方が隣にいなくても、この世界は美しい。愛しいと、思えてしまう。
色彩が涙で滲む。
その事実は寂しいけれど、不思議と悲しくはなかった。
暗闇の世界に戻るなんて許さない。そう言って貴方が笑っている気がしたから。
この色彩は、貴方がくれたもの。私の世界をすっかり染め上げて。これから続く未来の果てまで、導くように華やいでいる。
貴方という、愛しい色彩を知ってしまったから。
私はこれからを、生きていける。
【カラフル】
林檎が落とされるまで、この場所は楽園だった。
天も地も関係ない。何にも縛られず、自由に歌い舞う。ヒトも獣も、男も女も、何も無い。ただの命がそこにあるだけ。それぞれの抱く心のままに、想いを紡ぎ、伸びやかに生きる。
真っ赤な果実がひとつ、どこからともなく堕ちてくる。
一口齧れば、あら不思議。
世界は重力に縛られて、空は遥か彼方に遠く。
知らなければ良かったのだ。命の形に、違いがあるなんて。違いの数だけ、踏み越えられない壁があるなんて。
楽園は、過去に消え去り。
雁字搦めの世界で、私たちは今日を生きる。
【楽園】