人の顔色をうかがうのも
深読みしてしまうクセも
いつからだろう?
誰かと会うことや一から関係を構築することに
思いの外気合いを要したり
一人になった途端、どっと疲れがでたりする。
そうしてるうちに
一人でいることを身体と心が望むようになって。
だから、“必要以上に無理はしない”と決めた。
そうしたら、心がすごく楽になった。
今はただ、その思いを優先して生きている。
もうしばらく続くかな、私の充電期間。
120:だから、一人でいたい。
神様が舞い降りてきて、こう言った
「本来姿をみせるのはご法度ですが、特別にこうして参りました。私は常にあなた達を見守っています。どんなときも、どんな人でも、例外なく、です。地球上で起こりうるすべての出来事を見続けています。
ひとつだけ、重要なことを伝えます。あなた達からの呼び掛けはちゃんと聞こえます。私に呼び掛けてもらえると、あなたという存在にスポットがあたり、仄かに照らしはじめます。呼び掛けてもらえればもらえるほど、その明かりが少しずつ強くなるのです。
私からあなたを見つけやすくなりますから、お役に立てる場面が増えるかも知れません。その事を今日はお話にきました。どうか覚えていてください」
116:神様が舞い降りてきて、こう言った
鳥かごのなかの鳥を可哀想だと思ってた
空の広さも知らず、悠々と飛び回ることができないから。
でも、外敵の危険や、餌の確保の心配はない
鳥かごで育てられたら、野生では生きていけないかも。
未知の世界へ淡い憧れをもちながら
慣れたテリトリーで、少しだけ退屈に時を過ごす。
そんな日常もきっと悪くないはず。
114:鳥かご
「友だち」って、
どちらかが一方的に相手をそう呼ぶこともできるし、
どこか自分主体な気がする。
対して、「友 情」は
互いに相手を思いやる心があってはじめて成立するような、相手がいてこそという感じがする。
そう考えると、
愛情というくくりの中に、友情も入るのかな?
これまでの人生、
一体どれだけ心を通わせることができたんだろう。
これって、数の大小で優劣が決まるわけでも、
究極、心を通わせる相手は人だけに限ったことでもないような。
相手も自分と同じ気持ちかな~って自然に想像できる関係が、“友情” だと自分なりには定義してみました。
113:友情
私の名前は二文字。
姉達は三文字なのに、なぜ私は二文字なの?
それがずっと気に入らなくて、
その上、ありふれた名前でつまらないと思ってた。
もっとこう、平凡でない、そして三文字の名前に
とてつもない憧れをもっていたのだ。
「有名な一宮神社でわざわざ命名してもらったのよ」
なんて聞かされても、
自分の名前に対する好感度はさっぱり上がらなかった。
それで、妹が生まれたとき、
名前の候補がいくつかあがっていて、
最後は私の「同じ二文字がいい!」の発言で
めでたく(?)妹も二文字の名前になった。
ぼんやりとその時のことは覚えてる。
それからというもの。
「私の名前もまあ悪くないか~」となって今に至る。
人って恐ろしく単純なものである。
109:私の名前