うーん 悩む
物質的なことなら、自分の裁量次第ってとこだから
ここは精神的なものを望みます。
「挑戦する勇気」・「ポジティブに捉える心」・「自信」
そういったものたち。
一つに絞れなかった…
こればかりは、お金払って、はいどーぞ!って訳にはいかないし。
自分にしかどうにかできないことは百も承知。
それにしても、子供のときはここまでじゃなかったと思うんだけどな~
大人になってから色々考えることが多くなってしまった。
人生の課題と思って、
とことん付き合うしかないと腹を括ってみる。
幸せになりたくて、あるいは自分をもっと幸せにするために人は何かを望むのかもしれない。
110:今一番欲しいもの
私の名前は二文字。
姉達は三文字なのに、なぜ私は二文字なの?
それがずっと気に入らなくて、
その上、ありふれた名前でつまらないと思ってた。
もっとこう、平凡でない、そして三文字の名前に
とてつもない憧れをもっていたのだ。
「有名な一宮神社でわざわざ命名してもらったのよ」
なんて聞かされても、
自分の名前に対する好感度はさっぱり上がらなかった。
それで、妹が生まれたとき、
名前の候補がいくつかあがっていて、
最後は私の「同じ二文字がいい!」の発言で
めでたく(?)妹も二文字の名前になった。
ぼんやりとその時のことは覚えてる。
それからというもの。
「私の名前もまあ悪くないか~」となって今に至る。
人って恐ろしく単純なものである。
109:私の名前
世界の広さを物語る見渡す限りの海 海 海
太陽の光が反射鏡のようにキラキラと光る水面
ざらっと足裏に触れる砂浜
肌にあたる生暖かくも清々しい風
そよぐ風に身を委ねるように揺れるヤシの木の葉
私の視線の先に広がるのは、、、
残念、これはたぶん 想像の世界。
現実世界も、自分が見たいものや綺麗なものだけを
見ていられたらいいのになぁ
108:視線の先には
なんで「私だけ」
これまで何度そう思っただろう
物事は受けとり方次第とか
気の持ちようだとか そんな風に考える次元は
とうに超えてしまったの
神様からは私が見えていないのかい?って
本気で思った時もある
でも今分かった
「私だけ」を感じてる人が私だけじゃないんだってこと
冷静に考えたら分かることなんだろうけど、
どこか「自分のいる場所=この世のすべて」になっているところがあるからさ
普段の自分はそこに生きているわけで、
広い世界の誰かと比べて幸か不幸かはかったところで、自分がいる世界に直接影響があるわけじゃないから…
でも、みんな口に出さないだけで、
同じように感じてる人がごまんといるんだね
“私だけは決して私だけじゃない”
そう思うだけで、心強くもあり救われる気がする
107:私だけ
夏になると、祖父が決まって
栃木県の烏山へ行くのが恒例で、
私もいつからか一緒に連れていってもらうようになった。
鮎を食べたのも、
蛍を見たのも、
初めての体験がそこにつまっている。
お祭りの屋台では、当時流行っていたサッカーチームのユニフォームが欲しくなりねだって買ってもらった。
祖父と二人、お揃いのユニフォームで記念撮影した。
先日、アルバムの整理をしてみつけた写真。
びっくりするくらい、2人ともいい笑顔をしていた。
・神輿をかつぐ人々の熱気、太鼓の音
・美味しそうな焼きそばやお好み焼きのソースの匂い
・人が溢れて少しだけ歩きづらかったこと
・怖がりながらも、大きな大人しい犬をわしゃわしゃしたこと
一気に記憶がよみがえってきた。
あの頃に戻りたいような、
もう戻れないからよけいに愛しい思い出なのか。
あまりに無邪気な自分の笑顔をみていたら、
少しだけ涙が出た。
106:遠い日の記憶