仲間
昨日、武蔵小杉に行く用事があり、
病院や、商業施設に小さいお子さんがたくさんいて
せっかくだから散策していたら
かわいい女の子が通りすがりにお手てを使ってうさぎさんダンスをしながら上目遣いで見てくれたり
髪型から靴の先まで完璧にかわいいファッションで愛嬌を振りまいてくれる男の子とか、
素晴らしく美しい完璧な家族の子供さんばかりとすれ違って
さすが、憧れの場所に住まう人達だなぁって
感心してしまった。
しかし、なんか引っかかって……
子供なのに、あまりにお行儀が良くて完璧すぎないか?
トゥルーマン・ショーって映画みたいに
私以外全員役者さんで
もしかして、今日見た美しいお子様方は
全員子役のエキストラだったのでは?
って空想してしまった。
私が子供の頃は、餓鬼って呼ばれるのがふさわしく、
床に寝っ転がって泣き叫びながら、
「買ってよ、買ってよー!」
ってしてる子ばっかりだった気が……
仲間がいない
「悪い子いねがー?」
(なまはげの仲間になった気がした)
「手を繋いで」
幼稚園の頃、集団登園で
なぜか男の子と女の子が1組になって手を繋ぎながら並んで歩くのがルールだった。
羊飼いのような幼稚園の先生に追い立てられて
えっちらおっちら急な坂道を登るのだが
いつもパートナーになる男の子に
「小指だけ!」
と嫌な顔をされて
本当に幼稚園に行くのが嫌だった。
私は女の子なのに太っている上に背が1番高かったから
すごいコンプレックスでいつも地面ばかり見て歩いていた。
「恥ずかしい。
みんなと同じじゃなきゃいけないんだ…私はみんなからはみ出ちゃった…。」
まだ幼稚園児なのにいつもため息をついていた。
地面に変わった色のスベスベした綺麗な石なんかが落ちていたらポケットに入れて持って帰ったり、
そんな事が楽しみで、みんなと同じ事をしているフリはしているけれど、
自分だけの楽しみをこっそり見つけるようになった。
今思えば、不思議なのだが、あの頃の地面や壁にはキラキラしたダイヤモンドみたいな輝きがいつもあった
いつの間にか見えなくなってしまったけれど、あれは何だったのだろう。
よく、1人でグリグリと地面を掘っていて、掘るとキラキラが無くなってしまった。
私が幼い頃に手を繋ぐのは、仲間になれるのではなくて、他人と自分の違いを再確認するせつない儀式だった
絵を描いたりするにはモチーフ(対象)との対話が必要で孤独にならないと出来ないのだけれど、
私は手を繋ぐ事で、自分の孤独と手を繋ぎ、絵を描いたり物を創り出す世界のチケットをいただけたのかもしれない。