冬晴れ
なんという冷たく清浄無垢な空気、なんという美しい青い空!こういうのを冬晴れというのだろう。
見渡す限りの白い雪だった。ウィンタースポーツ嫌いの夫に無理やり「スキーやスノボーしたいんじゃないの。雪が見たいの」と、連れてきてもらったので、スキー場ではないのが良かった。小さな温泉場から少し登ったらこの景色だ。
「来て良かったぁ、ありがとう」「俺も久しぶりに雪山に来たけど、きれいだなあ」夫もこの景色に満足そうだった。
結婚30周年の記念に、どこか旅行しようと相談して、いろいろ調べてここにした。私ももう長くないかも知れない。最後の思い出になるかも知れないと、半ば強引に持っていった。
長くないかも知れないのは事実だ。血液の病気で、貧血がどんどん進む。貧血の治療は輸血しかない。輸血をすると、身体に鉄分が溜まりすぎる。鉄分は、人間にはもちろん必要だが、多くなると腎臓に影響を与える。鉄分を排出する薬を飲む。要するに、貧血と輸血のせめぎ合い。それが崩れると今度はもっとひどい貧血になるという、ロンドみたいな病気だ。
「来年も来たいなぁ」と、思わずつぶやく。「来たばっかりなのに、来年もって欲張りだ」「来年あるかな」「何を言ってるんだ。来年も来るんだよ」私は空を見上げた。夫もつられて上を見る。なにはともあれ、冬晴れの空と雪は綺麗だった!
幸せとは
幸せとは、理屈や定義が通じない、分からないもの。十人十色、百人百様の幸せがある。
貧困に苦しんで、泥水を飲み、ドロドロしたお芋の粉で作った主食を、いや、主食のみの食事を毎日摂っていても、ニコニコ楽しそうに暮らすアフリカの奥地の民族。何万坪の敷地に、ゲストルームだけで20もあるような豪邸を構えていても、浮かない顔をしているアメリカ人。日本人でも、他の国に比べたら貧困者が少ないはずなのに、幸せを感じている人と感じない人が居る。むしろ感じない人が多いと言われている。
要は心の持ちようなのだ。私は幸せを感じていたい。マイナスの感情は、運気をもマイナスにするらしい。だったらプラスの感情でいればいいと思う。それこそ、根拠もない考えだが、暗い気持ちよりも明るい気持ちでいたい。
あの、コップの飲み物の話の通りだ。
コップにおいしい飲み物が半分入っていたら「もう半分しかない」と思うか「まだ半分ある」と思うかで、心の持ちようが変わる。
私は「まだ半分も残ってる。この半分じっくり楽しもう」と思える人間だ。お金も健康も、あんまり無いけどね。
日の出
初日の出を見に行こうと出かけたが、みんな同じことを考えるらしく、海岸へ向かう道はやたらと混んでいた。日の出は7時少し前だと言うので早めに出たのに、6時半を過ぎても到着しそうにない。
海岸は風が冷たいからと、たくさん着込んできたのが裏目に出て、狭い車内は暑かった。ダウンジャンパーは、降りてからと思い着ていないのに。
隣で眠っていた妻が車が動いていないのに気づいたのか「もう日の出?」と寝ぼけた声で言ったので、イラッとして「まだ着いてないよ」と冷たく言ってしまった。
「渋滞だよ、渋滞!」「なんだーまだなのね」人の気も知らず、妻はまた目を閉じて眠ろうとする。「おい、諦めて帰ろうか」「えっ、なんで?ここまで来たのに?」「ここまで来たのに着かないから言ってるんだよ」「えーだって海からの初日の出見に行こうって言ったの、あなたよ」そうだった。俺だった。「言ったけど、これじゃなぁ。まったく動かないんだ」「う〜ん」諦めきれない妻は不満そうな声を出した。
新年早々、嫌な展開になった。喧嘩するのも嫌だがこの渋滞はどうも何とも・・・。
「あっ、日の出よ!」妻が叫んだ。「あっち側が明るくなってきたわ」「ホントだ」こんなところで初日の出を迎えるなんて、なんて半端なことになったんだ。考えている間にも、徐々に明るさが増し、20分ぐらいのうちに、道路上の車からも、太陽が見えた。
「日の出よねぇ」「あぁ」「こういうのもいいじゃない?結局、初日の出見たのよ」「うん、車の中でな」「いいじゃない。水平線から昇るのは見えなかったけど、前に並んだ車に反射してきれいよ」「うんまぁな」なんでも良い方に考える妻に、今まで何度も救われてきた。こんな俺にふさわしい初日の出なのかも知れない。
「そうだな。きれいだな」「そうね、いつもの朝とはやっぱり違うわね」「うん、まぁ、今年もよろしく頼むよ」「あら、こちらこそだわ」
もうすっかり明るくなった。愛車は脇道に出て、すいすい走る。「腹が減った。どこかで朝ご飯でも食べよう!」「うん、大賛成!」我が家の新年が始まった。
今年の抱負
歳の割にそそっかしく、よく手を切ったり、あちこちにあざを作ったりする。大きな怪我はしたことがないけど、小さな怪我なら何回も。
肋骨は4回ぐらい折っているし、足の指を壁にぶつけて折ったり、この年末には、キッチンで手の甲を激しくぶつけて、年末年始は添え木に包帯で過ごしている。事故ではなく、自爆だから情けない。
そんな私だが、持病もあるので、怪我はもちろん、無理をして心臓が止まらないように、そこそこ頑張りたいと思う。まぁ、止まったら止まったで私は良いのだが、家族のこともあるので、そこそこでいかないとね。
抱負としてはなんともハッキリしないが、これが私だからしょうがない。
新年
年末年始は嫌いだ。年末の大掃除しなけりゃ!という焦り。お正月のごちそうも作らなきゃいけないし、仕事しながら年末になだれ込むが、焦りだけで実際にはあまり動けない。
主婦としてどうよ。母として、子どもたちに見本を見せなければいけないのに、こんなに自堕落に年末を過ごして良いのか?葛藤はあるが大したことは出来ない。しない。
最低限の家事と、お正月料理を済ませて、今度はお正月になだれ込む。あー特別なことはしなかったなぁ。少ししか。と思いながら新年はおめでたい。おめでたいのに、どこか手放しで喜べない。毎年、そんなジレンマを抱えて、複雑な気持ちで新年を迎えるようになったのは、結婚してからだ。
独身時代は、母の代わりに家事をしていても、どこか責任者は自分ではないという気持ちを持っていた。主婦みたいにしてるけど、本当の主婦は母だから。それが、結婚したら私が主婦で、責任者。
家事は妻だけがするものではない。夫婦で協力しあってやるものだ(夫は一切出来ないし、やらないけどね)が、いちおう、家庭の総合管理は主婦だと思っている。その責任感はあるのに、気持ちほど動けないから。
嗚呼、新年を迎えてしまった!