楽しかったなぁ、あの人と過ごした時間。
止まらないおしゃべり、頂いた素敵な宝石。私のこと、綺麗だと褒めてくれたわ。お花を贈れば何よりも喜んでくれたわ。
だから違うわ、あの人、私に『尼寺にでも行け』なんて言わないわ。言わないもの。あの人と私、想い合っているもの。
お父様も亡くなっていないわ、あの人は今も優しいわ、お兄様だってあの人を好いているわ、私、幸せだわ。
だからお花さん、川の流れさん、連れてって、幸せな私のまま、遠く向こうに連れてって。何も知らないままで連れてって。醒めないままで連れてって。
知らないわ、知らないの。あの罪も、この罪も、知らないわ、知らないもの。私、幸せだわ、幸せなの、幸せだったの。
このお題こそが不条理だなって。
「ほれ、これつけてみろよ。」
そう兄貴手渡されたのは水泳用のゴーグルだった。ハゲかかった、好きだった男児向けアニメのプリントと、薄いブルーのレンズ。小学生の頃に俺が使ってたヤツだ。
「なんだよ、いきなりこんなの渡してきて」
「いいからつけろよ。もう泣きたくないんだろ?これをつければ泣かなくなる、お前は強くなれるんだよ」
兄貴に言われ、俺はしぶしぶゴーグルをつける。キッツキツのパッツパツで、おおよそ大人の男が付けるもんじゃないなと思ったのもつかの間、
「…なんだこれ、凄い兄貴、目、痛くない…!!」
クリアになる視界。さっきまでシパシパしていた目が無敵になる感覚。兄貴はそんな俺を見て得意そうに笑う。
「今のお前なら、コイツにだって打ち勝てる。負けんな、勝ってこい!」
「うん…!」
もう負けないよ、兄貴。このゴーグルがあれば俺はもう二度と泣かない。
戦いを諦めかけていた俺は、再び武器を握った。母さん愛用歴十年の包丁。そしてヤツを手に取る。
「今度こそ…やってみせる!!」
木っ端みじんにしてやるぜ、玉ねぎ。