私は見られることがとても怖い
誰がどんな時見ているかわからない
外で歩いている時、食事をしている時、手を洗う時、
買い物をする時、空を見上げている時
一人でいないことはいいことだが
同時にとても自由だとは言い難い
私は誰かに見られているのか
私はどのように診られているのか
私はどのように観られたいのか
私はまだわからないままでいる
この世界は私をみている
私もこの世界を睨みつけてやりたい
「どうして」
私はこの言葉をこれまでに何回自分に使ってきただろう
「変わってるね」、「珍しい考え方だね」、
そのことについて一番信頼できる人に尋ねたことがある
するとあの人は
「いいじゃない。なにか人と違うって、
珍しいって中々ないことなんだよ。
きっとなにかに役立つさ」と言った
私はあの人の言ってくれたことを何よりも信じた
でも、いつまでも同じことに囚われない私は考えた
『人と違う』や『変わり者』とはときに人から
大いに嫌われ、離れたくなるもの
私はそれをひどく恐れた
どうして私は普通の考えが出来ないのだろう?
どうして皆と少しでもずれているのか?
どうして私はこんなにもまだ普通の人になれない?
特別や変わり者はときに価値をつけ
一時的に優越感に浸れる
だが、その特別が実は"普通と違う人"という意味だとしたら
私はあの人から見ても普通ではない
"異常者"に見えていたのだろうか
私が一度だけ見た夢がある
その夢は自分の仲間を失う夢だった
夢の中の自分は仲間の死を受け入れきれず、
何度も怒ったり、泣いたりを繰り返していた
そうこうしているうちに目が覚めた
私は涙を流していた跡に気づいた時
ふと思った
本当に大切な人を失ったときに、
今日の夢のように必死になれるだろうか
怒ったり泣いたり、感情を誰かの為に出せるだろうか
夢の中なら私は誰かの為に悲しめるような
普通の人になれた
夢にいたい
ずっと夢を見ていたい