夢が醒める前に、思う存分夢を見ておかなくちゃ。
夢は不意に醒めてしまう。続きを見たいと思って二度寝してもうまく行かない。
起きてしまえばカウントダウンが始まる。覚えていられるまでのタイムリミットだ。
わずかな時間で夢日記を書きなぐる。あらかた書けたところで二度寝したり、出かける準備をしたりする。
読み返した日記は乱れに乱れた字で、読み解くのが困難だ。だが脈絡のない夢の世界を再体験できるならそれくらいの労力は大したことではない。
昨今『推し』という言葉が広まってから、世間はこぞって『推し』をもてはやし始めた。これまでも『ファン』や『オタク』という形でそんな人たちはいたはずなのに。
ともかく、世間が何となく熱くなっている気がする。以前より多くの人が『推し』へ熱をあげているからか。
胸が高鳴った数だけ、ときめいた数だけ、人は若返るように思う。そこまで熱心に追いかける物事がない私のような人が迫害されない限り、好きにやってくれとそっと眺めるだけだ。
全てが因果で結ばれていてほしい。不条理などもってのほかだ。
と思っているが、実は案外因果だらけなのかもしれない。ただ気づかれないだけで。
忘れた頃にやってくる。そんなことばっかりなのかもね。
泣かないよと宣言するだけで、込み上げる涙が消えればいいのに。
波打つ視界が開けるのは涙が流れたあとだけ。
一生泣けなくなったとしても不便しないのではないか。
涙が、泣き顔が、世界から消えてくれ。
子供の頃は怖がりだった。
21時前には床についていた時は、丑三つ時が怖くて仕方なかった。普段寝ている間に過ぎ去るその時間に目が覚めてしまうと、どんな恐ろしいことが起きるかと怯えて布団を被っていた。
今では幽霊も妖怪も昔ほど怖くはない。それどころか午前2時になってから寝る始末だ。これが成長である。