七瀬 紫苑

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2/17/2025, 9:48:31 AM

【時間よ止まれ】

「あ、そういえば、日曜ドラマの最新話見ましたか?」
「見ました見ました。今週も面白かったですよね」

時刻は23時を過ぎた頃。
2時間ほど前から退店する人が後を絶たなくなったファミレスで。
ドリンクバーだけで5時間居座る男女がいた。
彼らは今回で3回目のデートである。趣味のドラマや映画の話をしつつ、頭にはひとつの話題が過っていた。

告白。

誰が言い出したのか。
3回目のデートで告白しないと友達になってしまう。普段は不確かな情報に左右される彼らではない。どちらかと言うとそんなものを信じる人を冷めた目で見ていた。それでも告白という一大イベントを前にすると、不確かな情報にも縋りつきたくなる。

今日もし、告白しなかったら。
このまま関係が進まなかったら。
違う誰かに取られてしまうんじゃないか。

このファミレスの閉店は24時。ラストオーダーは23時半。
もうタイムリミットはすぐそこだ。


「そうそう、この前SNSで─」
違う。そんな話をしている場合じゃない。


「私の会社のお局がですね─」
こんなのいつだってできる。今じゃなくていいのに。


好きです。付き合ってください。
たったの一言が言えないでいた。


「俺、寝相すごく悪くて─」
「私も朝起きると布団が─」

あぁもう駄目だ。時間がきてしまう。
今日もまた、言えないでいる。

ほんの少し、勇気を出せばいい。
それだけで自分たちのすれ違いに気付けるのに。
勇気が出ないまま、3回目が終わる。


「(時間が止まればいいのに)」
「(そしたらずっと一緒にいれるのに)」

閉店を告げる音楽が、今日も鳴り響いた。

2/15/2025, 12:40:29 PM

【君の声がする】

本当は私、自分の名前が嫌いなの
読みにくいし、言いづらいし
こんな名前大嫌いだった

だけど君が優しい声で呼んでくれると
なんだか綺麗な言葉みたいに聞こえる

それが嬉しくて仕方ないんだ

だからどうか、お願い
ずっと私の名前を呼んで

2/12/2025, 11:58:43 AM

【未来の記憶】

「ねぇ、あなた。私には未来の記憶があったのよ。
…って言ったらどうする?」
「……ばあさん、ついに呆けたんか」

縁側に二人、座布団を敷いて茶をすする。
右がわし。左がばあさん。五十年変わらない位置で。
今日はちょっとだけ良いお茶菓子でも食べようか。そんなことを言って始まった三時の時間。
孫が東京で買ってきたという焼き菓子は、なんだか食べ慣れない味がする。下手な感想を言い合っていたところに変なことを言い出したのだ。呆けの心配もしたくなるものだろう。
「未来の記憶ってなんじゃよ。記憶は過去じゃろ」
「そうだけど、そうじゃないの。私は未来を見たことがあるんです」
「未来?だからそんな不思議なことがあるか」
「あるんですよ。私は見たんですから」
やたら頑なに「未来の記憶」とやらを主張するばあさん。呆けでないなら熱でもあるのかと額に触れると、普通よりも少しだけ低い体温をしていた。相変わらず平熱は低いようだ。

「…仮に未来の記憶があったとして、いつ見たんじゃよ」
「おじいさんが指輪をはめてくれた時よ」
そう言ってばあさんは愛しそうに何もない左手の薬指を撫でつけた。昔はしていたけれど、むくんでしまって以来、指輪はつけていない。
「給料三ヶ月分だって言って、プロポーズしてくれたでしょう。あの時指輪をはめてもらった時、この五十年が見えたの」
「…夢でも見たんじゃろ」
「私もそう思ったわ。でもね、あの時見た景色はそれから本当に起こったわ。子供が産まれた時も、あなたと離婚の危機になった時も。私はそうなることを知っていた。私たちが今日、この話をするのもね」
「それが本当だとして…じゃあ、なんで結婚なんかしたんだ…」

お世辞にも苦労のない生活とは言えなかった。
金で苦労をかけたことがある。子供が大事な時に病にかかり、仕事も育児も全てひとりでさせた時もある。
それこそ離婚の危機も幾度と経験した。
全部幸せじゃなかったとは言わない。だけど人よりは辛い思いをさせたと思う。
そんな未来が分かっていたなら、結婚を辞めた方がよかったんじゃないのか…。
「私はあなたに幸せにしてもらおうなんて思っていませんから」
「え…」
「一緒に幸せになりたいんです。そう思って生きてきました。あなたが私を幸せにしてくれるなら、私があなたを幸せにしたい。どんな時だって二人一緒なら幸せになれるでしょう」
「…そんな人生でよかったのか。わしはお前にたくさんの苦労をかけた…」
「そんな人生がよかったんです。あなたと過ごした五十年はとても幸せでした。何度未来の記憶が見えても、私はあなたとの人生を選びます」
そう言った彼女はやけに儚く見えて…。


一ヶ月後、彼女はこの世を去った。

未来の記憶とやらは、彼女の死さえも見せていたのだろうか。
だからあの日、未来の記憶なんて話をしたのだろうか。
今となってはもう、知る術はないけれど…。

「わしもつけたら未来の記憶が見えるんじゃろうか」
遺品整理の最中、久しぶりに見た婚約指輪は、当時と変わらない輝きを持っていて、大切にしていてくれたのだと知った。
まぁ、ばあさんの指に合わせたこの輪っかは、どうやってもわしの指には入らんのじゃけど。
せっかくならもっと聞いておくんじゃったな。


「ばあさんに会えるのはいつなんじゃろうな…」
その日をわしは、ずっと待っている。