鏡といえばこんな思い出がある。
僕はあまりかっこいい顔ではない。卑下とか謙遜ではなく、事実だ。だから鏡を見ることはあまり好きではないし、身支度を整える時以外はできれば覗き込みたくない。そんなふうに、鏡に対して良い印象を抱かずに、生まれてからの十余年を過ごしてきた。
話は変わるが、僕にはとある友人がいる。その友人…仮に『彼』と呼ぼう、彼は整った顔立ちをしている。学校でなら女の子たちの視線を全身に浴び、街に遊びに出かけたなら二度見されるのも日常。隠れてファンクラブが出来たことも聞いたほど。
そんな彼がなぜ僕と懇意にしてくれているのか。まさか自分をさらに際立たせるためか? 一度、疑問に思って聞いたことがある。彼曰く、
「◯◯(僕の名前だ)は、入学した時に顔関係なく対等に話してくれた唯一の人だからかな」
だそうだ。…正直なことを言うと、僕が勝手に妬んで少々冷たく当たってしまっただけなのだが、これは言わないほうがいいだろう。
ある時、いつものように一緒に帰宅しようと二人で学校の廊下を歩いていた。僕らの通う学校には、昇降口前に全身が映るほどの大きな鏡がある。当然目の前を通るのだが、前記したとおり僕は鏡が好きではないので、大袈裟に顔を背けて通り過ぎようとした。すると隣を歩く彼が、
「そっか、お前鏡苦手だったっけ」
と、立ち止まった。
「そんなに毛嫌いするほどか?」
鏡の前に立ち、手足を上げておどける彼。そんな彼に思わず苛立ちを覚え、
「お前は顔がいいからそんなこと言えるんだろ」
と思わず返してしまった。すぐにしまった、とは思ったが、言った言葉が喉に返ってくるわけでもなく、鏡越しに彼の表情が一瞬凍りついたのがわかった。
「あっ、ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ」
ぱっと本物の彼に向き合い、どう言葉をかけようか考えあぐねていると、不意に彼が吹き出した。
「…ぷ、ははっ! お前、魚みたいな顔してるぞ」
と、ひとの顔を指さして笑うのだ。何笑ってやがるんだ、と思いつつ鏡に向き直れば、そこには、魚のように口を開けて呆けた顔をした僕がいた。それを見てさらに笑う彼。ちょっと眉を下げて、先ほどのショックから抜けきれていない感じは否めないが、とても楽しそうに笑っていた。なんだか、彼を気にした自分がバカらしく思えて、
「なんだよ、お前だってさ…!」
と、彼の頬を真ん中に寄せて、
「ほら、フグだ、いやハリセンボンだ、ほら!」
鏡を向かせてやった。彼も、お返しとばかりに僕の顔をハンバーガーのように掴み、
「ならお前は陸揚げされたニュウドウカジカだ、ほれ、ほれ!」
と、見せつけてくる。
「何やってんだ君らは…」
ふいに後ろから声がかかる。振り返れば僕たちのクラスの担任だった。改めて鏡を見れば、二人でお互いの顔を掴み合って鏡を向かせていて、実に滑稽な絵面だった。
「あは、あっはっはっ!」
「くくくく、んっふっふっふっ」
思わず二人で笑った。担任を無視して笑い転げた。担任は訝しみながら早く帰れよ、と一言言って職員室に消えた。僕らは顔が赤く染まるほど、しばらくその場で笑いあった。
帰り道で、彼は僕にこう話してくれた。
「あんなふうに誰かと一緒に変顔して笑うの初めてだからさ、すごい楽しかった」
満足げに瞳を煌めかせてこちらを見る彼は、今までに見たどの表情よりも、彼を感じられた気がした。
初めて買ったメイク道具の包装。
それは特段可愛らしいわけでも限定品だったわけでもない。いつでも買える、いわば「安物」だ。高いものに比べれば秀でた特徴もない、本当にそれだけの包み。
けれどもそれは、私が踏み出した一歩を確かに象徴する、ただひとつのもの。他に替えの利くことなどない、そこにしか存在しないもの。
でもたぶん、いつか手放してしまう時が来るのではないか、とも思う。きっとその時は、数えきれないほどに私が歩みを進めた時なのではなかろうか、と、その包装を眺めながら、ふと思うのだ。