神様が舞い降りて、こう言った
「愚かなる人の子よ、私を楽しませてくれ。」
と不敵な笑みを含んだその声は嫌に脳内に響く。
そうしている内に意識が遠のいていく。
目が覚めると見知らぬ部屋に突っ伏していた。
見回していると、どうやらこの不可解な現象に巻き込まれたのは私だけでは無いようだ。
私の他にも
犬塚と名乗る明朗快活なボディビルダーの男性と
笹原と名乗る絵に描いたような杖を持った老紳士が居るようだ。
幾つか言葉を交わした後、私達は探索することにした。
辺りを見回すと床も天井も無機質なコンクリートでできている様だ。中央には木製の机と椅子、左右に扉が1つづつ有るだけの部屋だった。扉は木製と金属製と2種類のようだ。
机の上に1枚のメモと砂時計がある 。
私は紙を手に取り読む。
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| 帰りたければ杯を満たせ。 |
| 血で満たせ。 |
| さもなければ帰れない。 |
| 時が来ても帰れない。 |
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「恐らくこの砂時計が制限時間なのかな。」
砂時計の砂はまだ落ち始めたばかりのようだ。
「(杯を満たせ)ということは、この2つの扉の何処かに杯があるということなのか。」
神妙な面持ちで犬塚は口を開く。
「取り敢えず安全そうな木の扉から回ってみようかね。」
笹原はそう告げながらドアノブに手を伸ばす。
しかし扉は開かない。
「どうやら鍵が掛かっているようじゃな。仕方がないからそっちの扉も試してくれんかの。」
「それなら俺に任せてもらおうか。」
犬塚が扉を押す。彼の手や腕には血管が今まで以上に浮き出る。
古びた金属製の扉が重苦しい音を立てながら開く。
部屋の奥からはぼんやりとしたロウソクの灯りが見える。そこには祭壇があり、象を模した様な像を祀っていた。手前には鈍く光る金色の杯が置かれていた。
私達は恐る恐る部屋に足を踏み入れる。
像からは今すぐにでもこの部屋から逃げ出してしまいたい程おぞましい雰囲気を漂わせている。
「うわぁぁああああ!」
急な大声にギョッとし振り返ると、大男はあまり の恐怖に部屋から飛び出して行ったようだった。
「図体はデカイのに情けないわね。」
私がボソリと呟くと笹原は
「人にはそれぞれ苦手なものがある。だからそういうことは言うもんじゃないよ。」
と静かに諭す。
像の周りを調べると隠す様に一枚の古びた紙が落ちていた。
探索を終えて中央の部屋に戻ると、大きな体躯を最大限に縮め隅に蹲る男の姿を視界に捕らえる。
「先程はすみませんでした。大丈夫ですか?」
私は彼に駆け寄る。
彼は暫くして正気を取り戻したのか、立ち上がる。
「ありがとう。もう大丈夫だ。鍵は見つかったのか?」
「いえ、それがまだ見つかっていなくて…」
「そうか、仕方ないこっちの扉は鍵を壊すしかないようだな。」
そう言い終えると、彼は丸太の様な太い足で木製の扉を蹴破る。メギゴォと鈍い音を立てて扉は吹き飛ぶようにして開く。
中に明かりは無く、奥までは見えない様子だ。
すると部屋の中からヒタリヒタリと何者かの足音が聞こえてくる。
「下がれ」
犬塚は緊張した様子で私を一歩遠ざけ、身構える。
次第に足音の正体が鮮明に照らされていく。
そこには赤く染ったローブを身にまとった白髪の少女が立っていた。少女の手にはキラリと鋭く光る物が弱々しく握られていた。
「君はここの住人なのかい?」
笹原は穏やかな声色で刺激しないように問う。
すると少女は首を傾げるばかりである。
「なら、お前は俺達を殺す気でいるか?」
犬塚は彼女の手に握られているソレに怯え混じりの声で問う。
すると今度は横に首を振ってみせる。
犬塚は少女が手に持っている赤黒い液体が滴るナイフを渡すように頼むと、少女はゆっくりと犬塚の足元にソレを置く。
私は犬塚かナイフを預かると再び犬塚は口を開く。
「その血はお前が殺したのか?」
落ち着いてはいるが、少し乱暴な言い方だがこんな状況じゃ警戒もしているのだろう。
再び首を横に振る。
「それじゃあそれはお前の血か?」
再度首を振る。
目立った外傷もない事に不思議と安堵した。
「そろそろ警戒を解いてもいいんじゃないかな?どこからどう見てもただの女の子にしか見えないよ。」「貴方の名前はなんて言うの?」
私は犬塚に対して少しの抗議の後、彼女に質問をした。
彼女は首を傾げるばかりで喋らない。
恐らく彼女は喋ることが出来ないのだろう。
笹原がなにやら慌てた様子でこちらに呼びかけてくる。どうやら砂時計の残りの砂が4分の1を切ったようだ。
「慌てても仕方がない。メモによればあの気味の悪い像の部屋の杯を血で満たせば俺達は元の世界に帰れるのだろう?ならば簡単な話だ。コイツを使えばいいってことなんじゃねぇか。」
犬塚はそう言い放つと白髪の少女に視線を送る。
話を聞いていなかったのか少女は、あどけない表情で首を傾げる。
「私はそれには反対だ!こんな幼気な少女を犠牲にしたくは無い!」
「ならどうするってんだ!?」
2人の怒号が飛び交う中、笹原はゆっくりと口を開く。
「ならば儂が贄となろう。」
覚悟の決まった老人の顔は凛々しさを感じる。
「笹原さん、何を言いてるんだよ!それもだめだよ。」
「ならどうしろと言うんじゃ?残り時間も少ないのじゃぞ?」
そう言われ私は黙り込んでしまう。どうすれば誰も死なずにここから帰れるだろうか……そう考えながら再び辺りを見渡す。
少女のローブと血の付いたナイフに目がいく。
「なんで今まで気付かなかったんだろう。少女が居た部屋になんらかの遺体があるんじゃないかな。それを使えばなんとかなるかもしれない。」
「それだけはならん!!死者を冒涜するような事はしちゃぁならん。そんな事をさせる位なら儂の血を使う。」
今まで大声を上げることの無かった笹原が声を荒げて叱りつける。すると年齢を感じさせない機敏な動作で私からナイフを取り上げ振り下ろす。
刹那、力強く太い腕がその手を掴む。
「あんたも大概馬鹿だろ。今更だがよ皆で少しづつ贄を出せば1人も死なずに済むんじゃねぇか?」
「それだぁ!」
完全に失念していた方法に思わず声を漏らす。
像に怯えるお大男の手を握りながら、順々に杯に血を注ぎ満たしていく。すると像が光り出し目が眩む。
薄れゆく意識の中で再びあの声が響く
「つまらないなぁ」
気が付くとそこは知らない天井だった。
けたたましい蝉の声が響く夏のある日、僕は彼女に恋をした。
彼女は大垣製薬社長、大垣裕彦の一人娘で僕達とは別世界の人だ。それに加えて才色兼備とくるんだ。
もはやラノベのヒロインかなにかなんじゃないか。
その日はクラスメイト達と夏祭りに行く予定になっていた。
「今夜、近くの神社で祭りがあるんだが大垣さんも行かない?」
と僕はいつもの様に大垣さんに声を掛ける。
彼女は
「ごめんねぇ。今日はお父さんと用事があるの。」
互いの家で遊ぶ程の仲の僕からの誘いは断らない彼女に珍しく断られてしまった。
仕方が無いので家に帰り、無意識にテレビを点ける。
ニュースでは彼女の家から煙が昇る映像が映し出された。
僕は大急ぎで自転車に跨り、彼女の家に向かった。
野次馬を掻き分け、乾いた銃声が響く敷地内に入る。
煙が充満する中、彼女を探すがどこにも居ない。
彼女の部屋から男の声がする。
僅かに開いた扉からそっと覗くと、耐火スーツに身を包み、手には小銃が握られていた。
「なんなんだアイツら……」
「誰だ!」
1人の男が気づいたのかコチラに銃口を向け近づいてくる。
僕は隣の部屋に転がり込んだ。
床には血痕が伸びている。タラリと嫌な汗が頬を伝う。覚悟を決めて血痕を視線で追う。
どうやら血痕は本棚で途切れているようだ。
辺りを見回すと赤黒い血が付いた本がある様だ。徐ろにゆっくりと前に傾ける。すると本棚がゆっくりスライドし、この部屋には似つかわしく無い白く無機質な扉が現れた。
その扉の向こうは僕を飲み込むかの様な暗闇が続いている。
創作物の中でしか見たことも無いソレに、僕は高鳴る心臓を抑える。
後ろから鈍く部屋を蹴破る音が響く。
僕は戸惑いと覚悟の混じった拳を握りしめ扉の中に走り出した。
彼等に追いつかれない様に……
無我夢中で走ると開けた場所に出た。
薄暗い中、緑色の液体が不気味に光る部屋に出た。
「なんだコレ……」
そこには彼女と瓜二つの灰色のスライムの様なモノが培養槽の中で眠っていた。
「見られちゃったね。実は私、人間じゃないの。」
後ろから静かに寂しそうな声が響く。
中央の機械では白衣が赤黒く染まった大垣裕彦の姿があった。「ようやく私の悲願が達成される。この誤った世界を滅ぼし新たなる世界に作り変えるのだ。アハハハハハハハハハハハノ ヽノ ヽノ ヽ/ \/ \/ \!」
狂気じみたその笑い声が室内に響き渡る。
突如、けたたましい破裂音が鳴り響く。
その瞬間、柔らかいスライムの様な物に呑まれる。
吸収しきれなかっただろう衝撃が彼女の体を吹き飛ばす。吹き飛ばされた肉体は這いずりながらも彼女に集まり再び体のパーツを形成していく。
「噂通りの化け物らしいな」
そう言って耐火スーツを纏った男達の中からリーダーであろう男が出てくる。
彼女は鋭く通った声で
「失せなさい!貴方々に渡す物など何もありませんわ。」
と言ったあと何かブツブツと呟き始める。
すると周りにあった培養槽の中身が不規則に動き出す。動き出したソレは培養槽を割り、這い出てくる。
這い出てきた不定形のソレは彼等の前に集まると1つの個体として体を形成しようとするが生成が不十分なのだろうか、形成しきれず崩れ落ちる。
3m程の塊になった所で彼等に襲い掛かる。
彼女は僕に向き直ると
「この技術が彼等の手に渡れば悪用されてしまう。それは阻止しなければいけない。
それに私はお父さんを止めたい。私はこの世界が好きだから、君が生きているこの世界を守りたい。
コアを失った私達は、塵になって消える。そうすれば彼等も目的を失い、お父さんも止められる。お願い、私のコアを破壊して。」
「何言ってるんだよ。そんな事僕には出来ないよ!君を殺す事なんて僕にはできない。」
彼女は透き通った真っ直ぐな瞳で僕を見つめる。
「誰かの為になるならば、私の事はいいの」
僕が聞いた彼女の最後の言葉だった。