友人が来ない。
待ち合わせ時間からゆうに三十分は超えている。
連絡は一時間前の「ウケるんだが、さっき起きた。多分遅れるからちょっと待ってて」で止まっている。友人の家は結構遠い。電車の本数も少ない。待ち合わせの用事は気になっていた映画。そろそろ始まる。
時計とチケットを頻りに見比べながら、映画館の近くでソワソワソワソワしている。イライラもしてきた。
もう先に入ってた方がいいかと思った瞬間、友人が息せき切ってこちらへ駆けてくる。なにか一言言ってやろうかと思い口を開いたら、友人がウィンクをしながら人差し指を立てる。
「今イライラしてるでしょ」
頷く。友人は笑みを深める。
「怒りって六秒待てば収まるんですって。六秒間待ってみな」
六秒間殴った。
花束、便利なワードだと思う。なんか先頭に付けると全部それっぽくなる気がする。これは束がなくとも花単品でもそう。
友愛の花束。善意の花束。殺意の花束。希望の花束。絶望の花束。苦痛の花束。悲哀の花束。ご飯の花束。おっと無理なやつが出てきた。ご飯は無理だ流石に。
魚卵の花束。 もっと無理だ。意味が分からん。
醤油の花束。 なんで花束のワードでいくら丼作ろうとしだした?
山盛りの花束。 もうダメだ。ストップって言うまでいくら盛り付けるタイプのお店に入ってしまった。
ラベンダーの花束。山盛りのいくら丼食った後に富良野寄るな!
どこにも書けないことってどこにも書かなくないか。というより、書けなくないか。ここに書いている時点でそれは「どこにも書けないこと」じゃないんだから。書こうと思えば著しく倫理観の低下した描写だろうが他人のあまりよろしくない行いのアウティングだろうがその書き手の意思が赴けばそれはもうどんな場所ででも、事細かに、丁寧に描写することができてしまうだろうよ。じゃあどこにも書けないことってなんだ。たとえば筆者本人が理解していない事象。分かってないから書けない。賢くない作者は天才にまつわる描写を行う事ができないみたいな話。たとえば宇宙の真理。たとえば全員が幸せになれる唯一の答え。たとえば今世界に存在する、(もしくはしていた)全ての生物に付けられた名前の一覧。適当でなく、ほんとうの。もちろんそんなの誰も分からないから書けない。ううん。こんな屁理屈書きたかったわけじゃなかったんだけどな。というかどこにも書けないことを書いた上で人に共有させようだなんて我々をどうする気なんだ!えっち!すけべ!ハーレム漫画の主人公!(凡そ人に投げかけてはいけないようなとんでもない悪口)!(単語を見ただけで誰しもが泣いてしまうほどには残酷な蔑称)!
ちくたくちくたくちくたくちくたくちくちくちくちくちくちくちくちく。針ってのはどうしてこうも刺さるみたいな音を出しやがるのか。しかも一秒ごとに。世界に縫い付けられているような気分になる。おいおいおれは布じゃねえっつうの、とは思うが、それでも本当に自分が布じゃないなんて証明もできなくて、とりあえず服を脱いでみる。自分の身体の見られる範囲をじろじろ見ると脇腹に縫い目があった。一瞬ぎょっとしたけど、これは盲腸手術で出来たものだ。おれは布じゃない。おれの内側にはしっかりワタが詰まっている。じゃあ布じゃないか。わからなくなってきた。ちくちくちくちくちくちくちくちくちくちくたくちくたくちくたくちくたくちくたくちくたく。あーっ。時間に縫製された思考が衣服の形になって、おれにまとわりついてくる。気持ち悪くてやんなっちゃうよ。おれって布なのかなあ?