例え話って、あるだろ?
相手に配慮したり、会話がスムーズに進む為に、あるいは誤魔化す為、とか?
その例えに、天気が使われるってこと、あるよね?
晴れ渡るを気持ちがスッキリした時に。
雷雨を気持ちが沈んだ時に使うようにさ。
例えとしてなら、解りやすい方だと思う。
……でも、そうじゃないんだ。
”天気の話なんてどうだっていいんだ。僕が話したいことは、”
ーーーなんて、言ったらどうなるんだろう?
天気の話なんてどうだっていいんだ。僕が話したいことは、
”ただ、必死に走る私。何かから逃げるように”
そうだね。そうじゃないと生きていられないからだよ?
生きていたいわけじゃない。でも、死にたいわけじゃない。
だから、逃げ回るしかないんだよねぇ。
生きることからも、死ぬことからも。
努力もせず、挑戦もせず、改善もしないまま。
ひたすらに逃げ回って、妬んで、僻んで終わるしかないんだろうな。
どうあっても、変われた自分を想像できないんだ。
ただ、必死に走る私。何かから逃げるように。
”「ごめんね」”
いつからか、この言葉を繰り返すようになった。
本当に悪いと思っているのか、本当にそうだと思っているのか、正直解らなくて。
でも、1つだけ言えることはある。
”「ごめんね」”
私が思いついたばかりに、陽の目を見れないサクヒンにして。
「ごめんね」
いつだって満たせない何かを満たそうとして。
結局は、中途半端なままで終わって。
比べられたくなくて、勝手に比べて落ち込んで。
否定した先に、あるものなんてタカが知れていて。
そんな思いを抱えたまま、また今年も”半袖”に腕を通す。
いつになったら、前を向けるんだろう。
半袖
思いつくのは運動会。あれは本当に大変だった。
そりゃ、人によってはハレ舞台なんだけどね。
自分にとっては、さながら苦行でしかなかった。
その次は、人付き合い。
元から社交的でも聞き上手でもない、平凡以下の自分が苦労することは目に見えていて。
端から嫌われたり、嫌みを言われたりはそうそうなかったにしても、本当に苦労した。
いや、今でも苦労してるか。
後は、社会。
子供でいられないけれど、大人になりきれないどっち付かずの中間者な自分にとって、社会はまさに天敵。
居場所も作れず、意見を言うばかりで聞き入れず、挙げ句に足を向けることさえ出来なくなって。
本当、どうしたらいいのか解らなくなった。
そう考えるなら、”天国と地獄”は、いつだって隣り合わせで。
空におちるか、地におちるか。
どちらも救いで絶望だってこともあるんだけどさ。
天国と地獄