「あら。素敵な色ね。」
「ありがとう」
「何を描いているの?」
「わからない。」
目の前に広がっている、ただ白い画用紙に散らかしただけの絵の具をぼうっと見つめた。
「…つまり、自分のこころの赴くままに描いているってことね。」
「…そういうことなのかもしれないね。」
「無理に理解する必要はない。というより、そんなことできない。……だって、」
だって、
わたしのこころのゆくえは、
かみさまだけがしっているから。
ちりん、ちりん。
どこかの家の風鈴の音が、汗ばむ体に静かに響き渡る。
「あづすぎる〜…」
今年の夏もやはり記録的な暑さ。
毎年毎年更新されていく最高気温。
こんな日には、アレを買って、乗りきろう。
家族のお下がりのギコギコ鳴る自転車で、坂を猛スピードで下って、駄菓子屋へ向かった。
「ごめんくださーい。ラムネ一本、お願いします!」
「いや、二本お願いします」
「え?」
後ろから聞こえた低い声には、聞き覚えがあった。
「はいよー。…あら、なつみちゃんに、れんとくん?今日も部活だったの?夏休みなのに大変ねぇ」
れんとは、私と同じ部活の後輩だ。
いつも同学年の男の子と二人で一緒にいることが多いが、今日は一人みたい。
「そうなんですよー」
「ボランティア部、だっけ?珍しい部活よねぇ。…あらやだ、ラムネ、きらしちゃったわ。一本しかない。ごめんなさいね。もう一本、コーラならあるんだけど。」
「そうなんすね。じゃ、俺コーラでお願いします」
「はーい。ほんと、ごめんなさいねぇ。」
「…えっと、ラムネ、百二十円でしたっけ?」
「そう、百二十円。でも、コーラはタダね。あたしの準備が足りなかったからさ」
「え、いいっすよ、俺炭酸だったらなんでもいいんで、払います」
「いいのよ、ほんとに。」
駄菓子屋のおばあちゃんに百二十円を手渡した。
「ちょうどね、ありがとね。はい、どうぞ。」
「ありがとうございましたー。」
自転車を停めたところに向かって歩いていると、れんとが話しかけてきた。
「よっしゃ、タダでもらっちゃったね。見ました、先輩?」
「え、何を?」
「あーやって、一回食い下がるふりするんすよ。そうしたら、大抵の人は良心が働いて、結果、こっちはこっちでいい思いできるし、向こうも向こうで優しくして気持ちよくなれるから、ウィンウィンって感じっすね」
「バカ」
「あいてっ」
後輩のあんまりな言葉に、思わず軽くゲンコツした。
「ボランティア部から出る言葉とは思えません」
「でも、事実じゃないっすか」
「…いでっ」
今度はさっきより少し強めにゲンコツした。
「…ていうか、れんと、ラムネ飲みたいんじゃなかったの?私、コーラでいいけど」
「さっき俺言ってたの聞いてなかったんすか。俺炭酸だったら何でもいいんで。それに、飲みたいのは先輩でしょ。」
「うわっ!」
ラムネを持っている私の手を掴んで、私の頬にひんやり冷えたそれを当てた。
「汗だくだくだし」
笑いながられんとは言った。
「つっっっっんめた!!!」
「ちょっと。もう少し可愛らしい声出せないっすかね。女の子でしょ」
「うるさいなぁ、多様性の時代っ」
自転車にまたがり、れんとと解散しようとしたが、またれんとは口を開いた。
「せんぱーい、自転車乗せてってくださいよー」
「はぁ?」
「先輩んち、坂の上ですよね?俺んちはそこまでは行かないんで迷惑かけないと思いますよ。しかも、俺軽いし、先輩ムキムキだし」
「ちょっと、いい加減にしなさいよ」
「俺、暑くて倒れそう」
「……」
二人乗りに悲鳴を上げながら走る自転車。
「普通逆でしょうが…」
「え、今なんか言いました?」
「もう、なんでもない!」
「涼しー…先輩、もっと早くこいでくださいよ。風を感じたいです」
「じゃあ自分でこげ!!」
「えへへ。あ、ここっすよここ。俺んち。」
「はあ、やっとお荷物が降りたわ」
「あはは、失礼っすねー。ほんじゃ、俺はここで。」
「うん」
「気をつけてくださいね、なつみ先輩」
「ありがと。また次の部活ね」
「うっす」
青い空と、太陽が、私の町をぎらぎら照らしている。
生意気な後輩を見送って、結局また汗だくになって、坂道をのぼる。
蝉の鳴く声が、あまりに大きくて、耳がぐわんぐわんと揺れる。
なんでもない一日の思い出が、空になったラムネに詰まっている。
そんな、夏。