どこにも行かないで
私を置いていかないで
想う貴方が恋しくて
貴方は「いつまでも一緒」だと言ってくれるけれど
私には、どうにもそれが信じきれない。
気が狂うほど好きだし、何よりも、他の何よりも信頼している貴方だけど、いや、だからこそその言葉を信じきれない。
そうだろうか、信じきれないという表現は間違っているのかもしれない。
私はどうにも怖いらしい。
信じて信じて信じて、その後に裏切られるのではないかという不安に。それは他者の死への恐怖と遜色ないほどだろう。いつ死ぬかも分からない、どう死ぬのかも分からない、苦しいのかも分からない、だが人は恐れる。確実に起こる死とは違うと思うものもいるだろうが、私にはその不確実がより怖い。むしろ死のほうが覚悟ができるとさえ思えてしまうほどだ。
私が好きになった貴方は何よりも自由であった。
己の限界などに縛られず本当にしたいことを見つけ、行動に移していた。不安定に揺らめくも決して消えない藍色の炎のような貴方を私は愛した。支えたいとも思った。
それなのに今の私はどうであろうか。支えるどころか貴方を届く範囲に留めてしまっている。好きだった揺らめく炎を囲い、守ったつもりであったのだろう。それが、きっかけというなの酸素を奪い、炎の勢いが増すことを止める行為であるにもかかわらず。
優しく私を守る彼の笑顔に息苦しさが見える。優しい彼はそれを見せていないつもりだし、今までの私には到底気づけなかっただろう。でも、考え直してしまったから。考え直せたから。
今考えると信じれなかったのも怖かったのも私が貴方を変えたからだったのかもしれない。
本当に好きな貴方をまた見たいから。
だから、わがままだけど
どこかに行って
貴方のいきたい貴方だけのどこかへ
君の背中を追って
君の背中を追い続けたら自分を見失ってしまったよ
なくした自分を探してたら君のことすら見失ったよ
まあとりあえず進み続けようじゃあないか
大事な何かにまた会う日まで
夢を描け
夢を描け
いずれ叶うとは言わないが描かぬ夢に叶うものなし
夢を彩れ
気の向くままに色を出し続けろ
夢を見ろ
考えたっていい、見直したっていい
夢を誇れ
己のための夢を
夢を見せろ
自分の完成形を、未来の誰かの理想像を
手紙を開くと
私は手紙が好きだ
手紙は残るメッセージだからだとか、書くときに相手を思うからだとか、ロマンチックだからとか適当に言えば理由は複数あるが、何より、何よりも手紙が特別なのは、手紙を開くとそこに二者のみの世界が広がるからである。
そこに字の綺麗さや、渡し方、なんなら手紙の内容なんて関係ない。
手紙を開くとき、読み手は手紙一つに集中する必要がある。
他に何をしていようが、手紙を開くその瞬間だけは意識が手紙に向けざるを得ない。
開いた瞬間、手紙から書き手の世界が開放される。それは、読み手の読む世界とはまた別の形かもしれない。だがそれでいい。
書き手の書いた太陽が読み手にとっての月だとしても。
そこにあるのは、二者それぞれが思う二者の形で共有したものが共通のものである必要はない。対話の本質というものは案外適当でも良いのではないだろうか。
いや、難しいことを考えるのはやめだ。
本質だとかは根拠だとかはどうでもいい。
私の好きな手紙をたまには書いてみようかな。友か家族か見知らぬ貴方か
ここまで読んでいただきありがとうございます!
書きたいことも途中で分からなくなった拙い文章でしたが楽しめましたでしょうか。
手紙というものは中身を考えるも、そもそも手紙を用意するのもあって、わざわざ書くことは少なくなりがちですが(特に最近はネットで言葉は送れますし)、是非誰かに書いてみませんか?
書くことだけでも新しい相手の一面に気づけるかもしれませんよ。友達でも、家族でも、なんなら自分自身にでもいいと思います!私から貴方に贈る手紙(のようなもの)はこの辺にしたいと思います!
これから五月病とか時期など無視し始めた暑さで心も体も苦しめられるかもですけどそんな時は無理しないでくださいね!
最後の最後まで読んでいただきありがとうございました!!
どんなに離れていても貴方を愛すよ
どんなに近くにいても貴方を疑ってしまうよ
どんなに好きと伝えても足りないくらい好きだ
どんなに楽しい事をしても貴方との時間を上回ることはない
どんなに辛いことでも貴方になら尽くせると誓おう
貴方を愛すよ
どんなに離れていても