光と闇の狭間で
うお、眩しいな!
暗がりを曲がった途端出くわすハイビームのヘッドライトは目に染みる。
真面目な小市民ゆえ歩道を歩いていたので事故ることもなく、
ドライバーが睨みつけてくることもなく自動車は通り過ぎ、辺りは再び真っ暗になった。
暗い。
住んでいるアパートは駅から徒歩20分。
大通りから一ブロック内側に入る程度で、
カーテンを閉めないと街灯の影響で明るい。
こんなに真っ暗な歩道とか歩いたことない、怖い。
なぜこんな場所を歩いているかというと、
猫砂とキャットフードが無かったのだ。
猫砂はトイレ掃除すればあと一回くらいは使えるが、
キャットフードがないのは問題だ。
連日残業続きでネットで注文することを忘れ、
さらによろしくないことに、遊びに来る猫は
コンビニで買えるキャットフードが気に入らないらしく食べない。
空腹になったら食べるだろうと思い様子を見てみたが食べない。
高いやつなら食べるかと思ったら食べない。
強固に決まったメーカーしか食べない。
数日おきに来る通い猫であるため、
毎日確実に食えているかもわからず、
メシを期待してやって来るのに
食べられるものがないのは可哀想だ。
残業続きで姿を見ていない。
今日も来ていないようだが、既に一度来て待っていたかもしれない。
朝に顔を出すかもしれない。
そう思ったら普段買ってるメーカーを扱ってる店が近所にないか、検索して家を出ていた。
時間は夜の9時だ。
目当ての品を取り扱っているホームセンターには
行ったことがない。2キロ先にある。
国道に沿って大回りして行けば迷わず行ける。
閉店時間は22時だ。
シャカシャカと、
不審者ならないように精一杯気を配りながら、
エコバッグに財布とスマホを握りしめ早足で歩きに歩く。
最短距離ならもっと短いが、
ルートを見ると住宅地をくねくね曲がってわかりづらい。
歩いたことのない場所、しかも夜。
目印のない住宅地で曲がり角を一つ間違えたらアウトだ。
ここは!焦らず!目印の多い道を選ぶ!!
国道沿いの道をシャカシャカ歩く。
時折スマホに目を落とし、現在地と目印になる店をチェックする。
大丈夫、間違ってない、ちゃんと着く。
自分に言い聞かせながら、二車線の国道の脇道を歩く。
ホームセンターには閉店10分前に辿り着いた。
イメージより大きかったので、ペット用品コーナーまで
走ることになった。
目当てのメーカーは3種類揃っていたので全部買う。
猫砂も大きいのを買う。
ああ、間に合った。買えてよかった。
店を出るまでそれしか頭になかった。
店を出た途端、合計で3キロのキャットフードと
5.5リットルの猫砂が肩に食い込んだ。
どうやって帰ろう。
ようやく正気に帰った。
そして今。
近道の誘惑に負け住宅地を歩いている。
5分歩いてはスマホを確認、角を曲がってはスマホを確認。
もう22時30分を超えている。
人通りは無く、電灯の数も少ない。
一つの灯りの次までが遠く、とにかく暗い。
古い住宅街は年寄りが多いのか
電灯が付いている家が少ない。
中には雨戸を閉めている家もある。
最近の闇バイトに狙われやすそうな住宅地、という言い方は失礼だろうか。
真っ暗な道をスマホを頼りに歩く。
恐ろしいことにバッテリー量は20%を切っており、
利用をはじめてから4年目に突入している。
普段は予備バッテリーと充電器を持ち歩いて騙し騙し
使っていたが、
飛び出した時にそんなこと考えてる余裕は無かった。
肩に食い込む荷物が重い。
幸いなのは咄嗟に頑丈なエコバッグを選んだことだ。
おかげでエコバッグが重さに負けて破れ、
3つの猫の餌とひとつの猫砂を目の前にして
フリーズする未来だけは見えない。
ただ、バッテリーが切れたら帰る自信がない。
大丈夫、大丈夫だ。
ここからは真っ直ぐ一本道で、歩き続けると
川に突き当たるはずだ。川と言っても用水路みたいな川だ。
川沿いに北に向かえば最初に歩いた国道に出るはずだ。
暗い道を歩く。
肩だけで無く腰にも太ももにも負担が重い。
それでも一歩ずつゆっくり歩く。
自転車欲しいなあ、中古で良いからまた買うか。
盗まれた自転車に思いを馳せ、今ここに自転車があったら
ランランルンルンご機嫌で漕いでいただろう自分を妄想する。
妄想しながら歩く。川に突き当たった。
スマホを確認し、歩く方向を確かめる。
よし、こっちだ。逆に歩き出したらシャレにならない。
日中なら太陽の位置で方角がわかるが、今は夜だ。
ついてないことに今日は曇りだ。
ないものを嘆いても仕方ない。
自分を信じて歩き出す。
自分を疑い出したらスマホを見る。
画面を確認したら低電力モードになってしまった。
ドブのような水の匂いを嗅ぎながら
どのくらい歩いただろうか。
あった、出た、知ってる道だ!
川の対角線上にコンビニが見える。
たまにソフトクリームを食いに行くコンビニだ。
ここからあと20分くらいだ。
肩も足も腰も限界だったが、ゴールが分かれば頑張れる。
ひたすら歩いて30分後にアパートに着いた。
家のドアの前には猫がいた。
あぁ、良かった。メシをやれる。
ニャーんと無く猫を招き入れ、
取り敢えず前足と全身を拭く。
カリカリを注ぐ音に幸せを感じた。
そのまま猫と寝落ちして、充電していないスマホに叫び声をあげるのは次の日の朝だった。
距離
土日祝はお休み
泣かないで
土日祝はおやすみ
冬のはじまり
とうとう覚悟を決めたのか。
気候変動の狭間で優柔不断に揺れていた気温が
継続してしっかりと冷えている。
息が白くなるほどではないが、朝厚着をして昼に汗をかくということもない。
寒いなら寒い、暑いなら暑い。過ごしやすいままなら最高だ。
自分は一日どころか半日の間で変わりすぎる気温が嫌なのだ。
ちゃんと寒いっていいなあ。
特に寒いのが好きなわけではないが、
振り幅が大きいのがしんどい。
予定通りに冷えてくれれば予想が付くし、
何を着るか何を食べるか悩まなくて良い。
気温がぐちゃぐちゃであると、予定もぐちゃぐちゃになり、
体温と共に自分のメンタルも下がる。
街中でサバイバルとか冗談じゃない。
きちんと寒くなってくれて助かった。
今日はグレイの綿の入ったベストを着込んだ。
パフテックというらしいが、今までのキルティングと何が違うのかよくわからない。
綿入れと言うと半纏のような印象となるし、
キルトというと小学校で作ったナップサックのイメージが強い。
ただまあ、なんとなく今までとは違ってなんかすごい研究をしました!という印象があるので、呼び方は大事なんだろう。
カフェに入って迷わずカフェオレを頼む。
夏はアイスを頼みその飲むが、寒くなると甘くして飲む。
寒いとカロリーが欲しい。
これからこってりした煮込みが美味くなる。
今日は牛すじを買って帰りカレーを作ろう。
終わらせないで
なんていい気分。
このままでいい、このまま終わらせないで。
ピンクや金色や水色にキラキラと彩られた世界で
主人公がモノローグを呟いている。
わかっている、わかっている、こういうのはお約束だ。
なんでだ。
わかっていても無料の電子漫画に無粋に突っ込んでしまった。
いやいやいや、本当はわかってる。
主人公がパーチーでイケメンと踊り、その時間が幸せなのだと。
シンデレラのように終わりが来ないでほしいと。
だからダンスの曲を終わらせないでと願ってる。
わかってる、わかってるんだ。
ただまあ性分として、
そのまま踊り続けてたら疲労で死ぬとか
楽器弾いてる奴らにも休ませてやれよとか、
舞踏会は明け方まで続くのが慣例なのにそれを知らんのかとか、
水分補給しないと倒れるとか、そういうリスクを一切考えずに
状況に陶酔できる理由がわからない。
こいうのは作者が無限のエネルギーを放ち、
無敵の体力してるから疲れるという概念を知らないのか、
ロマンチックは麻薬成分故一切の疲労から解放されるとか、
そういうもんなんだろうか。
この手のロマンチックを見ると、自分もこうなりたいと思う前に
この舞踏会何時まで続き、どのくらい踊り続けるもんなんだろうと、
ロマンチックじゃないことが頭にちらついて話に集中できない。
別に女の漫画を貶めてるわけじゃない。
特撮を見ればヒーローが必殺のポーズ決めてる時に
悪役なのに攻撃しないのはなんでだろうとか、
ヒーローがエネルギーチャージしてる間、
どうして律儀に待ってやるんだとか、
気になって気になって話に没頭できない。
子供の頃はつい口に出してしまい
周りから反感を買った。
それが空気が読めない発言だと知るのは20年も後のことだった。
そうか、これは駄目なのか。
これはこういうものとして雰囲気とやらを味わい、
なんも考えずに楽しむスキルを得たくて
型通りが羅列しているラノベや漫画を読んでみるが、
頭の中が冷めてしまい没頭できない。
いつもこうだ。
みんなが盛り上がっててもそこに入れず
少し離れた位置から眺めている感覚。
それが周りにバレた時の表情、凍る空気。
忘れたいけど忘れられない。
楽しんでるふりだ。みんなに話を合わせろ。
コイツ、チガウとバレるのが怖くて、楽しいの演技が張り付いた。
おかげで感じの良い人への擬態はバッチリだ。
パターン通りの薄い会話はどうにでもこなせるが、
それ以上が出来ない。
それがバレるのが怖い。
場に馴染めてない。
日本でこれは禁忌に等しい。
ウチとソトの概念が強い日本では、ウチに入らないことは
死を意味する。
この場合の死とは生命ではなく社会的死だ。
いないものとして扱われる。
その恐ろしさを学生の頃に味わった身としては、
もう二度とあんな経験をしたくない。
だから擬態を覚えた。
でも本当は知りたい。
みんながどうやって何も考えずに楽しめてるのかを。
窓の外で何か動いた。
目をやると猫の尻尾だ。
ということはもうすぐ帰ってくるんだな。
隣の部屋のやつが餌をやってる地域猫が遊びにきたらしい。
この猫は、自分が偽善者と見抜いているのか
声をかけてもすぐ逃げていく。
しかし、隣の部屋のやつには懐いているらしく、
どこからか気配を察知して、
ドアが開く音がする前に窓辺にスタンバイして待っていることが多い。
壁が薄いから音も筒抜けだ。
よく猫に美味いか?もっといい餌の方がいいよなあと
呟いていたり、
お前の幸せなんだろうなあ。と話しかけたりしている。
たまに凝った自炊をしているらしく、
冷凍食品ではあり得ない焦げたバターの匂いがしたり、
インドになったみたいなレトルトじゃないスパイスの匂いがしている。
一度出かける時間が重なったことがあった。
カバンに何かのピンバッジを付けていた。
見覚えがあった。特撮系映画のエンブレムだ。
あ、俺とは合わないタイプだ。
そう思ったが、にこやかにおはようございますと挨拶し、
会釈をして立ち去った。
それだけだ。
数分もしないうちに足音が部屋の前を通り過ぎ、
隣の部屋のドアが開く。
にゃーん。
猫が鳴いた。
いいなあ、うらやましいなあ。
猫の話がしたい。
天気の話がしたい。
うまそうな匂いしてるけど何作ってんのとか、
そのピンバッジ気になったんだけど作品名何?とか知ってるけど聞いてみたい。
でも無理なんだ。
少し深い雑談をしたら擬態の皮は剥がれてしまう。
あ、こいつ少しおかしいなとバレてしまう。
あの空気。
怖くて怖くて忘れられない。
目の前のスマホを叩いて次の漫画を選ぶ。
なんとなくだ、なんとなく空気に飲まれて良いなあと思う感覚を身につけろ。
ひとつコツを掴めば次もきっとうまくいく。
練習しよう。人になるために。
そして次の漫画を読み始め、
生まれ変わって人生2周目だとすると、
主人公の中身は中年なんではということが気になり出して集中出来ない。
なんでこうなんだろうなあ。
終わらせない、諦めないぞ。
漫画のコメントを読んでいると、漫画にはまり込んで
主人公を応援している奴がいる。
いいなあ、うらやましいなあ。
何やるとそうなれるんだろう。
めげずに次の漫画を選んだ。