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8/30/2023, 7:25:50 AM

「言葉はいらない、ただ・・・」

まるで、夢の世界だった。

どこまでも澄み渡った空に、柔らかそうな白い曇。
太陽は雲の影を蹴散らすように、照り輝いている。
その下には、何十階とあるビルが夥しく並び、そのすそには家が何軒もたっている。

全く変わらない、情景。空と広がった世界が麓に見える。普通の人からすれば、いつも通りの、景色。

──音が聞こえないことを除けば。


僕には、耳に障害がある。
生まれつきだ。そのため、音も聞こえないし、しゃべれもしない。
耳にある、外耳という器官に、膜が張られ、鼓膜まで、音が届かないらしい。

不思議なもので、僕の行った病院では、「今までない症例かもしれない」と告げられた。
だから生まれてから一度も、自分の声、そして世界の音を、聞いたことはなかった。
ただ、音が闇に飲み込まれなような、黒い静寂が、いつも張り付いていた。

手術をする、という手はあった。だが、いくつか問題が生じた。

まず、この膜はなにか、ということだ。
いつ、どういった経緯で生まれたのか分からず、切り取っていいものかも分からないらしい。

次に、執り行った場合、耳にはいる情報量、音量に耐えきれるか、ということ。
僕の場合、耳が膜に阻害されているせいで、音は全くと言っていいほど聞こえない。

聴覚障害の人で、治りやすいのは、まだ少しでも耳が聞こえている人。だから、急に来た情報量、音量に耐えることもできるし、慣れることもできる。

ただ僕は、そういった都合が一切効かないため、執り行いが配慮という名で、躊躇われた。

また、膜を切り出した場合、その膜が再生するかも分かっていない。
そのため、手術を執り行う人がおらず、手術は難航した。

そんなとき、急に手術を執り行う日が来た。僕の誕生日、の次の日。明日。
突然的に決まったことで驚いた。訊いてみれば、親類らが、誕生日プレゼントとして予定していたものらしい。
いわば、サプライズ。

ただ、僕の気持ちは配慮してくれなかったらしい。
だが、目に見えた不安のなかには、「音を聴きたい」という、小さな愉しみがあった。

夜。君が来た。
『手術、できるって』
そう伝えると、とても、嬉しそうで、楽しそうだった。
でも突然、はっと、なにかに気づいたかのように、目を伏せる。

そんな表情を見て、なにか、不安になった。
ずっと笑顔だった君。
『頑張って』 そう君が書いた紙に、言葉に何度救われたか。
入院していたときにだって、会いに来てくれたことで、どれだけの不安が、鳴り収まったか。

なのに。
なんでそんな顔をするんだろう。
そう紙に書くと、驚いたように、君は目を見開いた。
『だってこういう風に、紙に書くことがなくなるんだって思うと。』
書いた紙を見せつけると、君は笑った。悲しみ、苦味を押し付けたような笑みだった。

苦しくなった。急に、手術をするのが嫌になった。

手術なんかよりも、君の笑顔の方が見たかった。声よりも、紙に書かれた言葉の方が良かった。

言葉はいらない。声も、手術もいらない。

ただ。

『君と、こうやって話したい』

8/28/2023, 4:03:05 PM

「突然の君の訪問。」

心臓が、止まると思った。
息をしているかどうか分からなくても、鼓動の音は消えてなくなったように、静まった。


いつも通りの、暑い朝。
買い物に行こうと、席を立つ。
家を出て、眩しい日向へと入る。
早朝だというのに、道路には車が夥しく並び、人が込み合うように立ちはだかる。
少し、人を押し退けるようにして、店に入った。適当にものを眺め、選ぶを繰り返す。

もう、夏も終わりだ。日差しは真っ直ぐ、僕の方を向いて落ちてくるような季節。なにもできない季節。
どうして、こんなにも早く月日はたつのだろうな。そんなことを考えながら店を出た。
まだ、僕は君になにもできていないのに。

人通りの多い表通りを歩き、裏通りに差し掛かる。
やはり、人気は少ない方が、楽だ。君と同じように。

そのまま家に直で向かう。古びたドアを空ける。なにもない部屋に入り、なにもないのに断捨離をする。

ボーとしたまま、手だけを動かしていると、不意に、音の外れた「ピーンポーン」という音が届いた。

宅配便かなにかだろう。適当に、ボーッとした頭のまま、ドアに手を掛ける。

「はい」
顔を上げる。
そして、その格好のまま、束の間、僕の中で、全ての時間が止まった。

僕の目の前には、君がいた。

紛れもない君だった。
体つきや顔は少し痩せこけているけれども、それは、正真正銘の君だった。

体が、完全に固まった。
心臓が、血液が、止まった感覚。
体温が零度まで冷やされるような驚き。

なんでここに君がいるの?
なんで突然会いに来てくれたの?
そんな言葉も、出た、はずだった。
僕は君を見て、驚きすぎたのか、一つの声もでなくなっていた。
目線は合わせることができず、君の首から胸をさ迷う。
そんな僕に、君はあの、いつも通りの笑顔で。
ニコッと「会いたかったの」そう、微笑んだ。