いそら

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6/14/2022, 5:31:32 AM

子供の頃の記憶の中の紫陽花は、胡麻の匂いだった。
学習塾の庭で親の迎えを待つ間、絵本の真似をして隠れた紫陽花の茂みは、体がぶつかる度に胡麻油のような香ばしい匂いを夏の空気に振り撒いていた。

それから成長し、紫陽花の葉には毒があると初めて知った際には「ああにも胡麻の匂いがするから誤って食べてしまう人は多いのだろう」と思ったほどだ。

さて、それからさらに大人になり、私は今一匹の犬を飼っている。
臆病だが愛嬌のある中型犬だ。

散歩につれていくと、必ず途中の庭先の紫陽花の匂いを嗅ぐ。他の犬のおしっこがかかっているのか、それとも好きな匂いなのかは分からないが、必ず立ち止まって鼻を近くまで寄せるのである。
ほとんど拾い食いをしない犬ではあるが、万が一ということもある。私は犬が急に紫陽花にかぶり付くことのないよう肩を押さえるために、紫陽花を嗅ぎ続ける彼の横にしゃがみこんだ。

そうすると位置の関係上私の顔も紫陽花に近くなるのだが、その時、紫陽花の葉からは何の匂いもしないことに気が付いた。
手にとって顔を近づけると穀物のような青臭い匂いがしないでもないが、小さな頃に美味しそうだとさえ思ったような揺るぎないものではない。

私は気になって家に帰るや否やパソコンを開きその事を調べてみることにした。
調べていくうちに、どうやら「ボタンクサギ」という花があることを知る。
「クサギ」という植物の仲間で小さなピンクの花が紫陽花のような半球状に集まって咲く低木であるらしい。
「クサギ」は漢字で書くと「臭木」であり、枝葉から独特な臭いがすることが語源らしく、どうやらその臭いが嗅ぐ人によっては胡麻の匂いの様に感じるらしい。
写真をみると確かに紫陽花のような丸いフォルムの花で、葉の付きかたもどのか紫陽花に似ている。

もしかしたら私が幼い頃に隠れていたあの紫陽花は、「ボタンクサギ」だったのではないだろうか。
学習塾の庭といっても田舎の藪のような庭だ。生え散らかしていた紫陽花の中に「ボタンクサギ」が紛れていても何ら不思議ではない。

学習塾のあった場所は10年も前に更地になってしまったので、答え合わせは実際に「ボタンクサギ」を嗅いで思い出のなかの匂いと擦り合わせるしかない。
もう十何年も前の話である。少しずつ幼い頃の記憶も曖昧になっていく。湿った土の上のあの胡麻の匂いが記憶から完全になくなってしまう前に、「ボタンクサギ」に出会ってみたいものだ。


余談だが、紫陽花の葉は毒である一方、「クサギ」の葉は天ぷらにして食べると美味しいらしい。あの茂みが「ボタンクサギ」であったのなら、私が幼い頃に感じた「美味しそうな匂い」という感想は至って妥当だったようだ。

6/13/2022, 7:23:57 AM

「好き」と「嫌い」について考えてみると、この二つの言葉を普段あまり使わないことに気がついた。
「嫌い」はとにもかくにも、言葉が強すぎるからである。こんなボンクラでも大人になると少しは社会性を覚えるもので、小さな頃は「あの子嫌~い」と無邪気に言っていた私も、今では「実はあの人少し苦手で……」とマイルドな表現をするようになった。
さて、ではもう一方の「好き」はどうだろうか。「嫌い」とは違い、ポジティブな表現なのだから積極的に使っても角はたたない。いやしかし、「好き」もやはり私にとっては強すぎる言葉である。
「好きなコンテンツ」「好きなアイドル」どうしても「私なんかが好きだなんて、烏滸がましい」と私の中の小心者が出てきてしまって、はっきりと「好きだ」と言えなくなってしまうのだ。「沼ったコンテンツ」「追ってるアイドル」照れが出てしまい、どうにもふざけた回りくどい表現になってしまう。
この機に、好きなものには好きだと正面切って言える、そんな人間になりたいものだと感じた。