本気の恋
まだ、恋すらしたことがない。
本気の恋、
それは、どんな感覚なんだろう?
四六時中ずっと、相手のことを考える?
心の底から、相手の幸せを願う?
それとも……
永遠に、どんなときも一緒にいたい、
絶対に離さない、
離れたら許さないという執着?
あとは……命懸けの恋、とか?
色々考えてみるけどわからない。
わかるときがくるのか、
はたまた、一生知らずに終わるのか。
カレンダー
一ヶ月が終わると、カレンダーを破る。
破るタイプのカレンダー。
一年が始まった頃は、まだ分厚くて
一年が始まった!と、なるが、
半年経った頃に、
あれ……?もう、半分……?早いなあ。
となる。
一年が終わる頃に、
一枚しか残っていないカレンダーを見て寂しさも感じつつ
一年の速さに驚く。
今年も今を含めて四枚。
そのうち一枚は半分を過ぎようとしている。
おかしいな。
昨日今年も半分か、とか考えていた気がするけど。
気の所為……か?
喪失感
何かが足りない。
何かを無くした。
その何かがわからない。
寂しさと喪失感だけが大きくなる。
本当に何かを無くした気がする。
何かがわからなくても喪失感があるから。
ああ、なんだっけ。
私は何を無くしたのだろう。
世界に一つだけ
結局、全てが世界に一つだけ。
じゃあ何故、同じように見えたりするのか。
似ている、とか
共通点がある、とか
そういうのが多いからかもしれない。
例えばこの前食べたお弁当についていた割り箸。
間違いなく大量生産されているものだ。
いつ使っても、
子供用のお箸みたいに短かったり、
大きな菜箸みたいに長かったりせず、
一定の長さだ。
材質も、金属になったり、
プラスチックになったりしない。
どう見ても木だ。
けれども全く同じ木の全く同じ部分で作られた、
全く同じ割れ方をする割り箸は存在しない。
人も同じだ。
仮に自分と全く同じ名前の
全く同じ容姿の人間がいたとする。
できるできない、得意苦手、好き嫌い……
全てにおいて同じだったとする。
でも、似た人生をどうにか送ることはできたとしても、
全く同じ人生を歩むことは不可能だ。
同じ時間に同じ地面を踏むことはできないから。
だから、そんな全く同じに見える人間でも不可能なのに
そうでもないただの他人が誰かを、その人自身を、
世界に一つだけじゃなくするのは無理だ。
同じ、は似ているだけであり
一つの大きな枠組みの中の共通点でしかない。
どれだけ共通点が多くても、
共通点を増やそうとしても、
結局世界に一つだけには変わらないのである。
というか、自分が世界に一つだけではなくなったら
自分の必要性が消えてしまう。
私はこのままでいい。
共通点をわざわざ増やす必要なんてない。
世界に一つだけである必要があるから。
世界に一つだけがいいから。
胸の鼓動
持っていたものを全て落とし、慌てる。
後ろから友達が私を驚かす。
たくさん人がいて緊張する。
この他にも日常には沢山のドキドキがある。
毎日生きているだけで私の胸の鼓動は大忙し。
今日も、私の胸の鼓動は大忙しだった。