もっと知りたい
何故?とか、どうなるの?とか、
よく考える。
もっとたくさんの事を知りたい。
知るのは、たまに後悔するけど楽しいし、スッキリする
自分にかかっていたもやが、一つ、一つ消えるから。
消えたら、また新たに不思議なもやがでる。
それの繰り返し。
よく、考えた。中には調べたものもある。
空は、なんで青いの?
私がこの色を好きな理由は?
あなたの、趣味は?
この物語のこの人物は何を考えたのだろう?
これを物に例えると?
好奇心と探究心が止まらない。
中には考えてもしょうがない物もある。
だけど、わくわくするから仕方がない。
もっと、たくさんの景色を知りたい。
もっと、世界について知りたい。
もっと、自分について知りたい。
自分が不思議に思う事、もっと知りたい。
平穏な日常
日々、色々な出来事がある。
その出来事の一つ一つをよく見ると、平穏さがある。
例えば、家の隙間に入っていく猫。
畑に咲く菜の花。
空に描く飛行機雲。
どれも日常の一部。
思い返せば、気づかぬうちに平穏な日常を生きていたのかもしれない。
日々の忙しさに埋もれて。
もっとそんな平穏な日常を探したい。
愛と平和
一見似ているように見える言葉。
愛があっての平和。
平和だから愛がある。
確かに正しいのかもしれない。
だけど、愛があるからこそおきる争いもある。
愛ゆえに傷つけてしまうこともある。
愛って難しい。
正しい愛なんてものはない。
だけど答えが欲しくなる。
愛を与える方も、愛を貰う方も嬉しくなるような愛?
それとも何もなくても愛と思えば愛?
その人が素敵な方に向かえば愛?
全て正解で不正解。
でも、一つ言える事がある。
どんな世界も探せばきっと形も中身も違えど愛はある。
あとは、与える人が取り違えないか
貰い手が愛と思えるか。
平和な世界に心地のよい愛が溢れますように。
過ぎ去った日々
あの時、こうしていたならば
あの時、違う選択肢を選んだならば
今、
そんなことをよく考える。
過ぎ去った日々、つまり過去は変えようがないのに。
私は過去のせいにしてしまいがちなタイプだ。
あの時、私が邪魔だったらしいから。
あの時、裏切られたから。
あの時、失敗したから。
そうやって逃げていく。
本当は、できるかもしれないのに。
もちろん楽しさも嬉しさも幸せもあった。
そんな良い思い出を覚えていたい。
そんな気持ちとは裏腹に忘れたい事ばかり思い出す。
だから、それのせいにして逃げる。
卑怯だ。
だから、いつか
いつかそんな弱さだって、過去のトラウマだって吹き飛ばして
自分がなりたい自分になる!
その思いを心にとめ、努力を重ねる。
今日もまた、過ぎ去った日々になる。
お金よりも大事なもの
心、とか?
花とか自然を美しい、と思えるし
喜怒哀楽を感じることもできるから
心がなければ(本能的な部分も無いとする)まず、何も考えることもできなくなる。
これじゃ全員ただのかたまりと変わりない。
感情ももちろんない。
不思議なことを不思議とすら思えない。
誰かに手を差し伸べる事もないし幸せを感じることもない。
私は、そんなの嫌だ。
確かに傷つくことも傷つけてしまうこともなくなるかもしれない。
けれど、無ければ生きようと思う理由がなくなってしまう。
どんなに辛くても、誰かの優しさがあった。
相変わらず自然は美しくて、楽しいものは楽しいし
美味しいものは美味しい。
心があるのが、幸せ。
心はお金なんかじゃ買えない。
だから私の意見だけど、お金よりも心は大切だと思う。