あいまいな空
行こうか、どうしようか?
駅前のロータリーで見上げた空は、
白っぽい灰色の空。
明るいような、じきに雨が降ってくるような、
迷うわたしのような、あいまいな空。
あじさい
降り続く雨、気が滅入りがちな時期。
蒸し暑い街を歩けば、
その豪華な花房に、ぱっと目を引き寄せられる。
昔からの素朴なあじさいもいいけれど、
いろいろ増えてきている
新しいあじさいを見つけるのが、
とても楽しい。
いまのお気に入りは、
墨田の花火の繊細な彩と八重の額、
柏葉アジサイの大きくて白い花房。
雨に濡れて冷んやりとしたあじさいを
腕いっぱいに抱えてみたら、
どんな気持ちになるだろう。
最悪
本当に最悪の瞬間は、言葉が出ない。
身体が竦んで、変な冷や汗が全身からどっと出て、
口を開いても、息さえ吸えない。
悲しくて、苦しくて、押し潰されそう。
時間が過ぎても、
あの時の怖さを、身体はまだ覚えている。
正直
正直って難しい。
小さな子どもに嘘を言わないことを教えても、
少し大きくなったら、
なんでも正直に言えばいいってもんじゃないってことがわかるし、そうじゃないと周りも本人も困る。
正直さが人を傷つけることもあるし、
誰かを傷つけることになっても、
真実を伝えなければいけないこともあるだろう。
嘘にまみれてしまいたくはない。
それに慣れてしまったなら、
心はいつか軽石のように固くて、
うるおいのないものになって、
動けなくなってしまう。
なるべく正直でいたいけれど、
平均台を渡るように、
どうにかバランスを保ちながら、
少しでもいいと思える道を選んで、
歩いていくしかないんだろう。
「ごめんね」
今までの人生で、一番謝って良かったと思ったことを懐かしさと反省を込めて書いておきたい。
娘が3歳くらいだったか、保育園を転園して間もなくで、毎朝の通勤と登園に私は必死だった。仕事も忙しく、毎日追われるように過ごしていた。
その朝もバタバタと支度をしていて、今はよく覚えていないくらいのちょっとしたことで支度にもたついたら、もう頭に血が昇ってしまった。
「何回も言ってんのに、なんでそんなことするの! いい加減にしてよ!」
娘は私の剣幕にはっきり顔を強張らせた。その顔色にどきっとする。
(まずい、ちょっと言い過ぎた…)
そう思ったけれど時間もなくて、すぐに娘を追い立て、電動自転車に乗って保育園に向かった。わりとのんびりした娘は、さっきのことを忘れたように後ろでハミングをし始める。
(なんだ、全然気にしてないし)
私はほっとした。
のんきでいいよねと思う気持ちに、妬ましいような気持ちも入り混じる。
それでも自転車を漕いでいると、少しずつ冷静になってきた。
(ちょっと怒りすぎたよね…)
保育園の駐輪場に止めた時も、もやもやした気持ちが抜けなくて、やっぱり謝ろうと思った。それは娘のためじゃなくて、自分がすっきりしたかっただけのような気がするけれど。
「ごめん、あんなに怒るほどのことじゃなかった。…お母さん怒りすぎた」
自転車の後ろに乗せたまま、ちょんと座っていた娘は、キョトンとした顔をして、それからぱあっと光が射すように笑った。
「そうだよ、〇〇、さっきすごい怖かったんだからぁ」
というようなことをたどたどしい甘えた口調で言った。とても嬉しそうに。その時の表情と声が忘れられない。
謝ってよかったと心底思ったし、そしていろいろ気づかされた。
この子はなんでもないふりをしているけど、母親が毎日きりきりしていているのを見て、何も感じてないわけじゃない。
保育園に行きたくないとかぐずったこともないし、お迎えがいつも最後でも機嫌よく待っていてくれる。雰囲気を読んで、この子もがんばってくれている。
目が覚めた気分だ。かなり反省もした。
今では随分大きくなって口ごたえもするようになったけど、私はまだ、あなたの中にあの時の小さなあなたの姿を見てしまう。
小さなあなたは本当に健気だったよね、と思い出すたび、ほろりとする。