星座
「あれがさそり座。赤い星が見えるでしょ」
夏の夜、君の人差し指が南の空を指し示す。その先には、赤い星を軸にして明るい星がいくつか見える。
「あの並んでるやつ?」
僕はS字みたいに並ぶ星のカーブを指でなぞる。
「そうそう」
いつの間にか君は僕のそばに並んでいて、明るく笑った。
君は他にもいろいろ教えてくれたけど、僕が覚えられたのは、夏のさそり座、冬のオリオン座、一年通じて北の空に輝く北斗七星くらいだ。
それでも僕たちは相変わらず夜の空を眺めている。
今夜もまた、君の細い指が夜空を指し、優しい声で星々について語るのだろう。
#48
踊りませんか?
土曜日、今日は彼女と二人でゆっくり宅飲みしようと酒をたっぷり買い込んだ。二人とも飲むのは結構好きだ。つまみも色々一緒に作って、マンションのベランダに椅子を出し、昼過ぎからのんびりいい調子でビール、チューハイ等々、ちゃんぽんで飲む。熱くも寒くもない、秋の爽やかな風が吹いている。
「美味しいねえ」
「これも美味い」
酒を飲み、あてをつまみながら、彼女の描く絵について、俺の仕事の話、そして次に出かける場所の情報など、話題は尽きなくて、楽しい時間が過ぎていく。
彼女は昔から絵を描くのが好きで、ずっと描き続けている。半分プロと言ってもいいだろう。でも俺は芸術のことはよくわからなかった。
「何で抽象画ってあるんだろうな」と酔いにまかせて、前から気になっていたことを彼女に尋ねてみる。
「綺麗なものやすごいものなら空や海や山とか描けばよくないか?」
彼女はちょっと困った顔で、
「確かに世界には綺麗なものやすごいものがいっぱいあって、それだけでも全然いいと思うんだけど……、私が抽象画を描くときは目に見えないものを描いてることが多いかな」
「目に見えないもの?」
「そう、気持ちとか夢とか」
「ふーん」
「無理してわかろうとしなくてもいいよ。絵なんてどう感じても自由だし、つまらないならそれでもいいの」
彼女はあっさり言った。
「でも時間が経ったら、見方も変わるかもしれないから、今は、と思っとけばいいかもね」
そしてグラスに入れた白ワインを一口飲んで、ゆっくり言葉を探しながら、
「あなたは自分が面白味のない人間だと言うけどね、スポーツとか仕事とか普段はそれを楽しんでるじゃない? 人の楽しみは色々だよ」
「そういうもんかな」
彼女の絵や彼女の興味があるものがよくわからないことは、俺の引け目になっていたのだ。
「ただ、私が好きなものを楽しんでくれたらすごく嬉しいから、いろいろおすすめしちゃうんだけどね」
彼女はいたずらっぽく笑った。
夕暮れが近付いてきた。
お互いだいぶ酔いが回ってきたなと思っていたら、彼女が突然、
「ねえ、踊らない?」と言い始めた。
「は? 踊る? 何を?」
「いいから、こっちこっち」
手を取られて、ベランダは目立つからとリビングの真ん中に連れて行かれる。
「ちょっ……、おい!」
彼女が俺の腕の中に入り込み、胸に顔を埋められる。
「ほら、昔でいうところのチークダンスとか、スロウダンスって感じ」
俺が固まっていると、
「ほら力抜いて。揺れてるだけでいいから」
戸惑う俺の体を揺らすと、スマホをスピーカーに接続して曲を流し始めた。
「せっかくだから、ロマンチックに行こうかな。古い曲だけど、『Lo/vin' You』Sha/niceの歌で」
彼女は緩く体を揺らし始めた。ガチガチの俺を見上げて笑いかける。頬を俺の胸にそっと押し当てて、
「目を閉じて、私に合わせて体を揺らせてみて?」と言う。
彼女の匂いと柔らかさを感じる。彼女が曲のリズムに合わせてゆったり揺れるから、俺も少し合わせて揺れてみる。これでいいのか? 目が合うと彼女はニコリと笑う。くっついた身体が温かい。
とびきり澄んだハイトーンの声がラララララ、ラララララとスピーカーから流れてきた。
「洋画とかでこういう風にホームパーティーで踊ったりするでしょ。一回やってみたかったんだ」
頬をふんわり赤くして、ニコニコしながら彼女が言う。
こんなのこいつと付き合わなきゃ絶対しなかったよなあ。かなり気恥ずかしいけど、彼女と一緒に揺れてるのは嫌じゃない。
「次は、『Time Af/ter Time』Tu/ck & Pa/tti バージョンで」
テンポが変わり、優しいギターの音に重ねて、深みのある少し掠れたような声が語るように歌い始めた。
何曲か流れ、ベランダから覗く空がゆっくりとオレンジ色から青に染まり、そして藍色に変わっていく。星が光り始めて、部屋は夕闇に沈んだ。
彼女なら今この時をどんな風に描くだろう。
俺の大事なものは、家族と仕事だけじゃなくなって、彼女も含まれてしまった。
わりと単純だった俺の心にいろんなことが、まるでキャンバスに描くように、俺が思いもつかないような色で、柔らかくそして複雑に塗り重ねられていく。
それは悲しいことじゃなくて、時を重ねていくゆえの豊かさで、とても幸せなことだと思った。
そうか。
抽象画について、彼女が言ったことがやっと腑に落ちる。見えないもの、何かに例えられないこの気持ちを絵にするのなら。
夕闇の中、彼女の体温を感じて体を揺らしながら、小さな頭の天辺を唇で触れた。
彼女は目を開けて見上げてくる。その瞳はきらきらと光る。
でもそれじゃ物足りないから。
俺は軽く目を閉じて、唇を少し差し出してみる。彼女はくすくす笑うと、俺の首に手を回し、そっと唇を重ねた。
#47
以前書いたものをリメイクしてみました。
巡り会えたら
夜空に星が光り、
僕たちは花畑からそれらを見上げている。
夜露が足を濡らし、花の淡い香りが肺を洗った。
そして僕たちは手を繋ぐ。
時間の先で待っていて。
月日は流れて、季節は巡る。
もう一度結び直すために、この手を離すの。
今は風が吹くから。
時間の果てで巡り会えたら、
僕のことを思い出して。
必ず見つけてみせるよ。
今度はそばから離れない。約束する。
#46
奇跡をもう一度
どうか、神様。
公園のベンチに座った私は、心が千切れそうな思いに強く目を閉じる。
「奇跡なんて望んだことはなかったな」
目を開けるとあなたは背中を向けて立っていた。
その言葉に笑うべきなのか、泣くべきなのかわからない。そうだね、あなたは何でも自分の力で切り拓く、そんな人だもの。
その時あなたは私を振り返った。
「……でもそれは僕が、奇跡をもう一度と願うほどの痛みを知らないだけだった」
少し口ごもりながらあなたはそう言って、私の手をとり、強く握り締めた。
#45
たそがれ
たそがれ時が、
見知った顔さえ見分け辛くなる時なら、
逢魔が時は、
見知った顔が別人に見えるほど、魔がさす時になるのだろうか。
「ねえ、どうしたの……?」
薄暗い中、ゆっくり振り返ったあなたの顔は、奇妙な暗い影が落ちてまるで別人のようで、そしてぞっとするほど禍々しく見えた。
#44