《たまには》
たまには?
嘘やろ。
しょっちゅう洗濯したし、子どもも抱っこしたよ
買い物にも行ったな。
こんなん、いるん?似たようなんようさんもってるやろ?
って聞いたら
おまえ、めっちゃ怒っとったなぁ。
店であんな大声なんか出したらカッコ悪いから
もうそんなみっともないマネすんなよ?
スマホばっかり見てたのは
悪かったな。
部屋掃除してても出て行かんかったんは
少しでもお前のそばにおりたかったんやけど
まぁ、わからんわな。邪魔やったか?ははは。
おまえの話も
たくさん聞いてきたつもりやけどな。
一緒に金沢行ったんも楽しかったな。
いうても列車の中は
2人ともずーっと寝てたなぁ。
おもろかったよ。
おまえのおかげでな。
もう、俺の写真の前で泣くなや。
おまえの笑ってる顔が好きやったから、笑ってくれ。
怒らせてばっかりですまんかったな。
まぁ、そんな声はおまえには聞こえへんやろうけどな。
俺かって、たまには礼ぐらい
いわせてくれ。
ありがとうな。
《現実逃避》
現実から逃げたとしても。
逃げ切れるか?
いつも
孫悟空のように
どんなに遠くに行けたとしても
所詮、お釈迦さまの手の届く範囲で・・・。
この逸話を思い出す。
でもね
現実からは逃げることができないとしても
逃げている間、
「突破してやる」
「逃げ切ってやる」
溢れる気持ちと高揚感。
この高揚感こそが、現実逃避。
やめられないのよ。
だから、繰り返すのよ。
現実に
戻ってこれるうちが華なのよ。
戻ってくることができなくなったら?
そうね、夢で会いましょう。
《0からの》
毎日が苦痛でした。
ある日には
「あなたは、私以外と接する人間も少ないでしょうから、この職場でコロナワクチンを打つのは最後でいいわね?他の職員から優先的に接種してもらいますから」
と言われました。
自宅待機させてくれるかと思いきや
毎日出勤しなければなりませんでした。
また、ある日には
痩せた私を見ては、
「その腕、細すぎて血管が浮いてて気持ち悪い」と
言われました。
見せないように、アームカバーを着けていれば
「なにそれ、不潔」とあからさまに嫌な態度をとられました。
こんなことを言われるために
側にいるわけではないのに
心は拒みますが身体は抗うことはできませんでした。
感情も次第になくなり、気持ちの起伏は
少しずつ真綿で絡め取られていきます。
「あなたのことは、大事に思っているから」
疑心しかないのに
どこかでその一言にしがみついていたんだと思います。
どの口がそんなこと言うんだろう?
とこからその言葉が出るんだろう?
気になって仕方ありませんでした。
この日
彼女は
私のそばから立ち去り際に、床の段差に
つまづいて転びました。
倒れた彼女に馬乗りになりました。
そして
どの口がそんなこと言うんだろう?
とこからその言葉が出るんだろう?
口を開けやすいように両手で歯を持ってこじ開けました。
顎を外して、手を入れやすいようにして
右手を突っ込んでさがしました。
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「これが当時の、あなたの調書です。」
「何か、思い出すことはありませんか?」
「些細な事でも気になったら、看護師さんに伝えてください。」
と担当警部補達は帰っていきました。
・・・誰のこと、書いてあるんだろう?
担当警部補さんは
さも私が殺めた口ぶりだ。
このところ、毎日同じ事を質問される。
だけど、何も思い出せない。
《やっと他人になれたんだね。よかったね》
《こんな嫌な奴、0からやり直すこともないもんね》
何度も読まさせるけど、そう思う。
そう思う事を、看護師さんに伝えたほうがいいのかなぁ。
「今日にさようなら」
今日という1日は
人生の中で1番経験値が上がった日のこと。
今日という1日は
明日への準備をする日のこと。
今日という1日は
未来という結果をもたらす原因になる1日のこと。
今日という1日は
人生の中で欠かせない1日のこと。
そんな今日にさようなら。
また明日ね。
さぁ、最後、ここの荷物をまとめたら、完了。
とはいいつつ、段ボールの箱に入ってるから
特に出し入れせずにそのまま持っていけばいいんだけど
何入れてたっけ?
段ボールの箱をあけると古いノートが数冊。
表紙には、日付が書いてある。
あー、古い日記だわ。
開けてみる。
『2月14日
学校を休んでいるとしお君のために、じゅぎょうのプリントをおうちまでもっていった。バレンタインデーなので先生にないしょでチョコレートもいっしょにわたした。
としお君は、まっ赤なかおてよろこんでくれた』
な、懐かしい。
この時の俊雄君の顔、誰よりも赤くて、かわいかったよね。
『2月17日
朝から、かおが赤いので、お母さんがねつをはかってくれた。ねつがあったから、学校を休んでびょういんにいったら
おいしゃさんに「りんごびょうだよ。リンゴみたいなほっぺになるからリンゴびょうっていうんだよ。しっかりやすんでね」といわれた。』
昔の日記を読み返す。時計の針が猛スピードで逆回転して
昨日のことのように思い出す。
俊雄君、リンゴ病だったのね。感染してたんだ、私。
照れて赤いとばっかり思ってた。
いつまでも読みふけってたら、時間がいくらあっても足りない。ノートを閉じ、箱に入れてガムテープで閉じる。
持っていく箱、置いていく箱、わかりやすく置いておかないと。引越しの業者さんが、来るのは、明日だったか、明後日だったか、、、。
「ねぇ、業者さんが来るのっていつだっけ?」
静かな部屋に響くのは私の声だけ。
あ、まだここに写真があった。
俊雄君、隣には私が写ってる写真が一枚。
誰よりもいい笑顔でこっちを向いてる。2人とも。
そうね、
俊雄君、先に旅立ってしまってたのよね。
幼い頃から病弱だったから、頼りない私を置いて
ずいぶんと遠い場所へ行ってしまったのよね。
この写真は、カバンに入れて持っていこう。
引越しは明日か明後日。