《0からの》
毎日が苦痛でした。
ある日には
「あなたは、私以外と接する人間も少ないでしょうから、この職場でコロナワクチンを打つのは最後でいいわね?他の職員から優先的に接種してもらいますから」
と言われました。
自宅待機させてくれるかと思いきや
毎日出勤しなければなりませんでした。
また、ある日には
痩せた私を見ては、
「その腕、細すぎて血管が浮いてて気持ち悪い」と
言われました。
見せないように、アームカバーを着けていれば
「なにそれ、不潔」とあからさまに嫌な態度をとられました。
こんなことを言われるために
側にいるわけではないのに
心は拒みますが身体は抗うことはできませんでした。
感情も次第になくなり、気持ちの起伏は
少しずつ真綿で絡め取られていきます。
「あなたのことは、大事に思っているから」
疑心しかないのに
どこかでその一言にしがみついていたんだと思います。
どの口がそんなこと言うんだろう?
とこからその言葉が出るんだろう?
気になって仕方ありませんでした。
この日
彼女は
私のそばから立ち去り際に、床の段差に
つまづいて転びました。
倒れた彼女に馬乗りになりました。
そして
どの口がそんなこと言うんだろう?
とこからその言葉が出るんだろう?
口を開けやすいように両手で歯を持ってこじ開けました。
顎を外して、手を入れやすいようにして
右手を突っ込んでさがしました。
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「これが当時の、あなたの調書です。」
「何か、思い出すことはありませんか?」
「些細な事でも気になったら、看護師さんに伝えてください。」
と担当警部補達は帰っていきました。
・・・誰のこと、書いてあるんだろう?
担当警部補さんは
さも私が殺めた口ぶりだ。
このところ、毎日同じ事を質問される。
だけど、何も思い出せない。
《やっと他人になれたんだね。よかったね》
《こんな嫌な奴、0からやり直すこともないもんね》
何度も読まさせるけど、そう思う。
そう思う事を、看護師さんに伝えたほうがいいのかなぁ。
「今日にさようなら」
今日という1日は
人生の中で1番経験値が上がった日のこと。
今日という1日は
明日への準備をする日のこと。
今日という1日は
未来という結果をもたらす原因になる1日のこと。
今日という1日は
人生の中で欠かせない1日のこと。
そんな今日にさようなら。
また明日ね。
さぁ、最後、ここの荷物をまとめたら、完了。
とはいいつつ、段ボールの箱に入ってるから
特に出し入れせずにそのまま持っていけばいいんだけど
何入れてたっけ?
段ボールの箱をあけると古いノートが数冊。
表紙には、日付が書いてある。
あー、古い日記だわ。
開けてみる。
『2月14日
学校を休んでいるとしお君のために、じゅぎょうのプリントをおうちまでもっていった。バレンタインデーなので先生にないしょでチョコレートもいっしょにわたした。
としお君は、まっ赤なかおてよろこんでくれた』
な、懐かしい。
この時の俊雄君の顔、誰よりも赤くて、かわいかったよね。
『2月17日
朝から、かおが赤いので、お母さんがねつをはかってくれた。ねつがあったから、学校を休んでびょういんにいったら
おいしゃさんに「りんごびょうだよ。リンゴみたいなほっぺになるからリンゴびょうっていうんだよ。しっかりやすんでね」といわれた。』
昔の日記を読み返す。時計の針が猛スピードで逆回転して
昨日のことのように思い出す。
俊雄君、リンゴ病だったのね。感染してたんだ、私。
照れて赤いとばっかり思ってた。
いつまでも読みふけってたら、時間がいくらあっても足りない。ノートを閉じ、箱に入れてガムテープで閉じる。
持っていく箱、置いていく箱、わかりやすく置いておかないと。引越しの業者さんが、来るのは、明日だったか、明後日だったか、、、。
「ねぇ、業者さんが来るのっていつだっけ?」
静かな部屋に響くのは私の声だけ。
あ、まだここに写真があった。
俊雄君、隣には私が写ってる写真が一枚。
誰よりもいい笑顔でこっちを向いてる。2人とも。
そうね、
俊雄君、先に旅立ってしまってたのよね。
幼い頃から病弱だったから、頼りない私を置いて
ずいぶんと遠い場所へ行ってしまったのよね。
この写真は、カバンに入れて持っていこう。
引越しは明日か明後日。