順調!食べづわりはあるけれど、そのせいで随分と体重も増えたけれど、お腹の赤ちゃんの成長は順調!
妊娠適齢期ってのがあるのかわからないけれど、産院の中では随分と若いお母さんの部類にはいる私は23歳。
旦那も若い部類になる。
マタニティビクスっていう、妊婦さん専用の体操教室のある産院のおかげで、体重急上昇した私はそこに入れてもらえて、ママ友ができた。
一緒に汗を流してランチに行って。
みんな大体出産の時期も同じくらいの予定だから、タマゴクラブ仲間として大変心強い。
大体みんな私より10歳くらい年上だからお姉さんみたいな感じ。そうというのも皆、初産仲間だからかも。
私のお腹の子が9ヶ月になる頃には、仲間の誰かが毎週のように出産していった。
マタニティビクスに行くついでとばかりに出産祝いを持って、自分の事のように嬉しく思った。
私も早く赤ちゃんに会いたいって思った。
旦那は、甥っ子や姪っ子がたくさんいるからか、私の出産にはあまり興味もなくて、寂しかったけれど、お腹に子供のいない男性にまだ見ぬ我が子のパパを求めても仕方ないって思って我慢してた。
そんなある日、旦那が出張になった。
車での移動だし、お天気はいいしで、行ってらっしゃいと見送った後、簡単にお昼ご飯にしようかなーなんて呑気にキッチンに立つと、下着に違和感。
もしやとトイレに行く。
下着にはベッタリ血。
便座に座ったら血がボトボトと落ちる。
コレがオシルシってやつ?と、約1年前の生理用品を使って、リビングに行き。
私、やっとお腹の子に会える!嬉しい!
って思って産院にオシルシの連絡をしたら、
「今から一歩たりと動くな!救急車でこい!」と、年配のおじいちゃん先生に叱られて訳がわからない。
とりあえず、救急車に連絡。
「妊婦です。オシルシだと思って産院に連絡したら救急車でくるようにと言われまして…」
具合が悪いわけでもないのに申し訳ない気持ちで救急車を呼び、じっと動かないでいる間に旦那にもメール。実母には電話。
実母はすぐ行く!と片道2時間の距離を急いできてくれるらしい。
お腹をさすりながら、「おばあちゃんも来てくれて嬉しいね」ってお腹の子に話しかける。
到着した救急車にかかりつけの産院を伝えて連れて行ってもらった。
住んでるマンションの住人に何人か会って、「頑張ってね」って声をかけてもらって、出産が怖いと思った。
何時間とか何十時間もかかる人もいるって聞くし。
産院に着くと看護師さん達が玄関で待機してくれててストレッチャーのまま、診察室へ。
診察室ではおじいちゃん先生が珍しく機敏に動く。
先生、まだまだ元気だねって、痛みもないし、余裕で観察してた。
「ここでは産めないから総合病院にまわすよ!」と、先生がいい切らぬうちにストレッチャーで救急車に戻る。
結婚を機に、この地に来て、総合病院がどこにあるかなんて知らない。途端に不安が襲う。
すると、お腹がグニグニ〜と、動く。赤ちゃん。
赤ちゃんが産めるならどこだっていいって腹を括る。
総合病院でも看護師さん達が出迎えてくれてストレッチャーに乗った私は猛スピードで診察室を超えて手術室。
お腹や胸や指にペタペタと先を張り付けられて、ピコピコなる機械と、先生。
若い女医さん。
モニターを見ながら何も言わないから不安。
だけど、何も言わない方がいい気がして、私も無言。
女医さんが「あ…」っと言ったような気がする。
瞬間ストレッチャーは本物の手術室へ。
テレビで見た事ある、シーツを掴んで『せーのっ』の掛け声で手術台へ。
あれよあれよと、手術の準備が進み、
女医さんが
「キャー!」って言って私のお腹にメスを入れた。
麻酔していてもわかる。
それからバタバタたくさんの人が出て行って、この部屋にこんなたくさん人がいたんだってびっくりした。
シーンと静まりかえった部屋で、時計を見たら13:10
私の子供が産まれた時間だ!覚えておこう!
五分たっても静かな部屋。
私の赤ちゃんはどこ?
私のお腹どうなってるの?
不安で心配で、誰もいなくて泣きそうになった頃、みんなが出て行った出口とは別の扉から赤ちゃんを連れて先生が来てくれた。
白い布に包まれた赤ちゃん。
顔を真っ赤にして泣いて、指をぴーんと伸ばして。
さぁ、カンガルーケアってやつよね?って思ったら、
「赤ちゃんにはまたすぐに会えますからね」の声を皮切りに意識が遠のいた。
目が覚めたのが個室ならよかった。
生憎、あきがなかったらしく4人部屋。
案外それでよかったのかも。
目が覚めた時、同室の人がナースコールをしてくれた。
看護師さんが来て
まずは赤ちゃんが無事な事。
明日には会える事。
今は麻酔が抜けてないからしんどい事。
後産っていう痛みがあるかもしれない事。
を、説明してくれて、今日は一日よく寝るようにと言われて、ほんとうにぐっすり眠れた。薬?使われたのか?
朝になると、旦那がベッドサイドの椅子に座ってた。
「赤ちゃんに会いにいく」
って言う私。
「わかった」
って了承する旦那。
2人でエレベーターに乗り赤ちゃんを見に行く。
ギャー!!と、NICUと書かれた部屋から看護師さんが出てくる。
「帝王切開した次の日に歩くな!」との事らしい。
でもせっかく来たんだからと赤ちゃんに会わせてもらえた。
退院する前の検診で教えてもらえた。
胎盤早期剥離ってやつだったせいで急な帝王切開になった事。
赤ちゃんの呼吸が五分近く止まっていた事。
そのせいで、なんらかの障害とか病気があるかもしれないらしい。
でも、大丈夫。やっと会えたんだ。
お腹の傷がジクジクするし、なんか力も入らないけれど、この傷は赤ちゃんと私が出会えた勲章。
今は腹の立つ反抗期真っ盛り。
私がお母さんになれたお腹の傷ができた日から私も強くなった。反抗期なんかに母の愛は負けないぞ!ってたるんだお腹の傷が誇らしい。
友達に「もうやめなよー」とか「帰ろうよー」
って言われてるけど、聞こえないふり。
やさぐれているんだ。私は。
今日のデートすっぽかされた。
これで3回目。
夕方にかかってきた電話で「寝てた」って。
そんな訳あるかい!
朝から駅で待ってたのに。
遅刻常習犯だった彼氏。いや、元彼氏。
だから、のんびり街ぶらしたりカフェでお茶したり、案外1人時間満喫しちゃうのに慣れちゃったけどさ。
でも、待ってたんだよ!
おーまーえーをー!!って心の叫びが届いたのか、帰ろうと思った駅のホーム。
止まった電車の扉の向こうに元彼氏と、その横にぶっさいく(に、見えただけかもしれない)な、女!
電車のドアが開いた瞬間に、元彼氏の股間に蹴りを一発。
うずくまる元彼氏と、私を睨んで叫ぶブサ女。
もちろん、その電車には乗らずに、別の電車で海に来た。
たまたま海に遊びに来ていたらしい友達と偶然会った。
友達は帰るところだったらしい。
私は今からあの薄汚れた元バカ彼氏に触れてしまった足を海の水で清めてもらうんだい。
私とさして仲良しなわけじゃないのに付き合ってくれる友達はきっといい奴。
私の心がやさぐれてるだけ。
学校始まったら是非、仲良くしていただきたい。
海で遊んで疲れたはずの友達は暗くなっても私を見張ってくれた。
日が落ちて、真っ暗な海が怖くなって友達のところに行ったら、
「遅いしー」
って、ぬるくなったコーラをくれた。
ぬるくて甘くて、ちっとも美味しくないのに最高なコーラだ。
きっと、夜の海ならではの味だな。
僕は自転車で通学している。
片道で1時間くらいかかる。
電車だったら30分くらい?もっと早く着くかもしれない。
だから、凄く田舎ってわけじゃない。
通学の為に、乗りやすい高い値段の自転車を買ってもらったから、家が貧しいわけじゃない。
僕は、病気で電車や車に乗るのが苦手。
勉強も苦手。
だけど、1人の女の子に出会って、友達にはなれなくてもいいから同じ学校に行きたくて、必死で勉強して。今だって休み時間も、家に帰ってからも勉強してる。
進学校とは程遠い学校だけど、僕は奇跡的に合格して、なんならその女の子は同じクラス。
僕の人生捨てたもんじゃないって思った。
来年も同じクラスになれるかわからないけれど、留年して違う学年にならないようにずっと勉強してる。
でも、片道の1時間、イヤホンしながらなんて器用な事は僕にはできないから、ヘルメットして、安全運転。
事故をして、あの女の子と会えなくなるのは嫌だ。
あの女の子とは話したこともない。
僕はクラスメート。
根暗でバカなクラスメート。
それでもあの子と同じクラスに居られるなら、なんだって我慢できる。
暑い日も寒い日も風の日も雨の日も。
僕は毎日自転車に乗る。
僕が学校に行く途中、その女の子が駅から出てきた。
僕は気付いたけれど、彼女は僕の事なんて知らないだろうから、気が付かないふりをして横を通り過ぎた。
ちょうど、信号が赤になって、僕が止まった。
彼女が、隣に立った。
「ねぇ、学校サボらない?」
と彼女の声を初めて聞いた。
彼女を見れば、泣き腫らした目で、涙声。
「うん。いいよ。後ろに乗って」
って言った。
彼女が学校に行かないならば、僕も学校に行く意味はない。
金属でできた荷台に彼女はふわりと座って、僕のシャツを掴む。
「どこに連れてってくれる?」
って聞かれたから
「どこにでも。自転車でいいなら。」
って答えた。
自転車に乗ってどこまでも走り続けたいって思ったけど、言わなかったのは、まだまだ僕らは未成年でここに帰って来なきゃいけないから。
だから、彼女の気紛れでも、泣いた理由がわからなくても、交通違反でも。
彼女が僕のシャツを掴んでくれてる間はずっと自転車のペダルを漕ぎ続ける。
孤独はよくない。
1人でいると、良からぬ事を考える。
なるほど、確かに。
とは思えない。
夏休み、子供が常にいる。
塾だとかお稽古だとか、わずかに居ない時間に食材の買い出しに行ったりするもんだから、家にいる時間で1人の時間がない。暑さもあいまって、イライラすることが増える。
ほんの数年前までは24時間ベッタリ一緒に過ごしていた我が子でさえ、ずっと一緒はストレスになる。
早く夏休みが終わらないかなぁ。とさえ思う。
子供が巣立ったら寂しく思うかもしれないから、今を楽しむべきとは思うけれど、現実、やっぱり1人の時間が欲しい。
カフェでゆっくりとかじゃなくて、誰の目も気にせず、自宅でダラリとしたい。
心の健康のために。
君の奏でる音楽
楽譜通り。
作曲家の意思を詰め込まれた楽譜に敬意を払い弾く。
私の先生の教え。
だから、先生に習うからには、先生の意思も加算して、なるべく楽譜通りに弾く。
それでもやはり曖昧な表現もある。
そこに私の表現力を発揮する自由がある。
それすら先生と意見の合わない時もある。
その時は意見の交換をする。
その為には楽譜を作った作曲家。製本した楽譜を作った会社の意思まで鑑みなくてはならなくて、その数小節のための膨大な知識がいる。
技術が上がると自由度が増えて、大変な思いをする。
それこそが、自由の本質かもしれない。
年に一度、先生が開催する発表会がある。
それこそ、楽譜通りにキッチリキッチリ弾く練習。
でも、毎年、本番は私の好きなように弾く。
それを先生は
「一番良い演奏だったよ」
と、言ってくれる。
あまりに難曲を選曲して、実力不足を痛感した時も、そう言ってくれる。
私は最後の発表会の時、今まで弾きたくて弾きたくてたまらない曲を選んだ。
先生は、
「最後は弾きたいと思う曲を弾きなさい」
と、言ってくれた。
その曲は、私よりも随分年下の子が発表会で弾く事が多いような曲。
難易度は易しいに分類される。
どうしても弾いておきたかった曲。
人気な曲だから大体取り合いで、私も発表会で弾けなかった1人。
だからこそ、最後に悔いは残したくかかった。
発表会では楽譜通りに弾いた。
多分、今までの発表会で誰よりも上手に弾いた。
そして、もう一曲。
少し前に先生と練習しつつ、途中で挫折した曲。
先生には内緒にした。
発表会のプログラムには載せないで欲しいと頼んだ。
先生と練習したところまでは楽譜に従い、途中からアレンジも加えて好きなように、思うままに弾いた。
まるでジャズのような、ゴスペルのような気ままな曲になった。
クラシックの先生に歯を向けたような私の愚行。
全身全霊、汗だくになって弾いた。
私の全てを曝け出すように。
今まで先生から学んだ一滴も溢さずにだせるように。
私は今日限りでピアノのレッスンを受けなくなる。
ピアノというお稽古をやめる。
人前で弾く最後の曲だ。
弾き終わると、先生が舞台に上がってきてくれた。
本来なら私が下がってから、司会として出てくるのが常なのに。
先生は泣いていた。涙脆い先生だけど、礼儀を欠いてまで泣いてる。
先生は私にしか聞こえない声で
「ありがとう。今までで一番いい演奏だったよ」
そう言った。
後日、出来上がった発表会のCDが送られてきた。
先生から一筆
「僕を自由にしてくれたのは、君の奏でる音楽だったよ」
と、書いてあった。
きっと、先生は一度でいいから人前で思いっきり好きに弾いて見たかったに違いない。