「こんにちは。お迎えにきました。」
「あらあら、いらっしゃい。もう少しだけ待ってくださいますか?はるばる遠方から子供がきてくれてるみたいなの。とっても急いでね。」
「そうですか。では到着を待ちましょう」
「私のお迎えは、私の母か父か兄か、夫かと思っていたのに、こんなにお若い男性に迎えに来ていただいて嬉しいわ」
「あの世で皆お待ちしております。」
「そう。みんなに会えるなら怖くないわ」
「怖いことは何もありませんよ」
「あなたは私の夫の若い頃にそっくりだわ。顔だけで選んじゃったけど、なかなか悪くない人だったのよ」
「知ってます。無口でしたが真面目な人でしたね」
「あら、お知り合い?」
「僕は息子です。産まれて来る事は叶いませんでしたが、両親に会いたい一心で、今までずっと待ってました。お母さんって呼ばせてください」
「あら。」
「お忘れですか?」
「いいえ。ごめんなさいね。気付かずに。お母さんと呼んでくれてありがとうね。ちゃんと覚えていますよ。産んであげられなくてごめんなさい。抱きしめたいけれど、まだ体が動かないの」
「よかった。嬉しいです。お母さん」
「もう少し待ってね。産んだ我が子にお別れしたら、あなたを抱きしめたいわ。」
「この日までずっと待っていましたから、少々待つくらいなんて事ないです。」
「寂しい思いをさせてしまったわね。」
「そうでもないですよ。おばあちゃんやおじいちゃんと一緒にいられましたから。産まれていたら、おばあちゃんやおじいちゃんとはあまり一緒に居られなかったですし。」
「たしかにね。迎えに来てくれてありがとう。これからはあなたとずっと一緒に居られるの?」
「どうでしょう?」
「あなたのお母さん、やれるかしら。もう一度。」
「それなら、お母さんが死んですぐに生まれ変わって大人になってもらわないと僕はお母さんの息子になれないみたいです。」
「休む暇ないみたいね。」
「僕は一応、水子という事になってますから。僕があの世にご案内するときに少し遠回りしましょうか」
「そんな事できるの?」
「お母さんと手を繋いで歩くのが夢なんです」
「あの世には歩いて行くもんじゃない?」
「歩くとは多少違う感じです。多分、僕は歩いた事がないからわからないのですが。」
「そう。杖が無くても歩けるかしら。」
「大丈夫ですよ。お母さんを支えますから歩き方教えてくださいね」
「嬉しいわ。あの世に行くのが楽しみになったわ」
「今までずっと待たせてごめんなさいね。さぁ、逝きましょうか。」
「お母さん」
「まずは抱きしめさせて頂戴。あなたの事、産んであげられなくてごめんなさい。迎えに来てくれてありがとう。あなたの事もちゃんと愛しているわ」
「ちゃんとわかってますよ。お母さんありがとう。僕はこれまでずっと見ていましたよ。」
ラインなんて面倒。
メールで十分じゃない?
なんか、写真とかいるし、名前も登録したやつになるから、フルネーム?名字?名前だけ?あだ名?
と、思ってから20年。
今ではラインがならない日はない。
広告だったり広告だったり広告だったり。
子育てしてる間こそ、ママ友や子供の部活やらで連絡のツールのいかんを発揮してくれた。
今となっては昔の新聞折り込みちらしのように広告を受け取るツール。
ラインごと消しても生活に問題ないと思う。
ママ友は所詮ママ友。
年賀状を送り合う程度の友達とさほど変わらなくなった。
それでもたまにラインのアイコンを眺めて、誰かの写真が変わったのをお便りのように見るため。
過去の友達の日常をチラリと見たいが為。
「お元気ですか?久しぶりにお会いしたいです。」
の一通のラインが送信できない。
筆不精という言葉を聞かなくなったけれど、ライン不精というのかな。
スーパーなんかでバッタリ知人に会えば
「久しぶり!今度お茶しよう!ラインするね」と、どちらともなく言う社交辞令。
仕事でもしたら違うのかな?とも思うけれど、今更、働いて友達作ろうとも思わない。
取り立てて誰かに相談しなきゃならない事もない。
ピコンとなったラインをみると、子供から写真が一通。
こういうのがあるからラインをやめられないのよね。
眠る時の呪文は「目が覚めませんように」
1日に何回も唱えているのになかなか叶ってくれなくて、目が覚めたら毎回泣きたくなるけど泣いていられない。
三人家族、夫と可愛い盛りの園児の娘。
それだけで十分だった。
幼稚園に入園した娘に倣ってパートも始めて忙しいながらも幸せだったんだと思う。その時はその時の不満はたくさんあったのに、今となってはあの頃が幸せの頂上だった。
義理の母が自損事故してから転がるように生活は一変。
近距離別居の夫の実家は我が家にあまり干渉もしないいい嫁姑関係だった。そう、「だった」の。
まだまだ若いと言われる60代の義理の父は仕事一筋な人で、夫は駆け出したばかりの若手の忙しさ。
そんな中での姑の事故。
車は廃車。今時信じられない事にシートベルトしてなかったらしくて、頭でフロントガラスに突っ込んだらしい。その時に首の神経触って半身不随とも言えないけれど動いたり動かなかったりする右手右足は利き手側。
姑が退院したばかりの頃は「これもリハビリ!」と家事を頑張っていたらしいけど、長く続くはずもなく、夫の実家からヘルプの連絡が増え、パート先に頭を下げて早退する事が増えた。
それならいっそと同居の話が出た時は、私の中に危険信号が点滅した。
夫と何度も話し合い、パートを辞めて手伝いには行く。
で、落ち着いたのは一瞬で、頭打ってた姑は手足どころではなく、今までと人が変わったようになった。
忘れっぽいなんて生優しいもんじゃなく、靴を履かずに出かける。財布を持たずにお買い物。帰り道がわからないからと新幹線に乗った事を笑って話せるのは舅と夫だけ。
頭下げるのも、迎えに行くのも私。
娘の延長保育に間に合わなくても2人とも「仕事」で娘がひとりぼっちでいる幼稚園に頭下げて泣いた娘を宥めるのも私。
この頃にはもう自分がおかしくなってたんだと思う。
同居する事にした。
娘だけはと転園したくないと言う娘のために片道30分の送り迎えとお弁当必須の幼稚園を続けさせている。
朝を何時というかわからないけれど、姑が朝と夜の区別がつかなくなったのは同居してすぐだった。
夜中にスーパーが開いていないと騒いで警察のお世話になった。
それから私は姑と一緒に寝るようになった。娘も一緒にと思ったが夜中に何度も起きてその度に宥めなければならない。娘が眠れないと思い、娘は隣の部屋で寝かせる事に。
それからは娘も夜中に何度か「トイレ」と言って私を起こすようになった。
この頃には夫も舅も頼る気持ちもなかったし所在不明な事が増えた。
たまに家にいる時は2人とも、「家事」を手伝ってくれた。
それは庭の草木の手入れや玄関前の掃き掃除。まとめたゴミをだしてくれたりもして、ご近所さんからは好評な舅と夫。
マダラボケの姑にケアマネさんまで同居で専業主婦の私と「家事担当の男性陣」がいるから施設はまだ早いと判断されてる。
もう、目を覚ます事なく眠りたい。
姑に処方されている睡眠薬を見る。
そろそろ薬も貯まった頃かな。
この日の為に、姑と夜中の散歩もしたし、娘のトイレも付き合った。姑はフリスクを薬だと思って飲んでた。
フリスク知らない世代で良かった。
舅と夫の浮気の証拠はさっき姑との散歩のついでにご近所のポストに投函した。
こうやって、一つ一つ思い出しながら、久しぶりのビールで睡眠薬を飲む。ウィスキーもある。舅のだけど。
次に眠ったら目が覚めませんようにって飲み込む。
娘が「トイレ」と言ってきた。
これが最後のお付き合いなら悪くないやと思う。
娘をベッドに連れて行って、
「ゆっくりお休み」って言う。
明日は日曜日。
私もゆっくり眠ろう。朝、目が覚めませんように。
朝、起こされるのは7時2分前。7時に起こすって約束なのに。
朝の貴重な2分を取られるのは我慢ならない。
だから、絶対7時には起きない。何度か来たら仕方なく起きてあげる。
朝ごはんはパンがいいって言ってるのにご飯の日もあるから頭にくる。
1日の始まりは気分良くいたいのに。
学校に行く準備していたら早く行けとばかりに「遅刻するよ!」って言われる。前髪に寝癖ついてるから仕方なくない?
遅刻なんて別にいいじゃん。誰に迷惑かけるわけじゃないし。
お昼になってお弁当箱開けたら、私の苦手なブロッコリー入ってる上に、フリカケにしてって言ったのに、ご飯の上に梅干しのってるし。
お弁当くらいは希望通りしてよ。まじムカつく。
学校終わって疲れて帰ってきたのに、「宿題ないの?」とか「制服ハンガーにかけろ」とか「弁当箱だして」とかうるさいし。
友達と大事な相談のライン中だから無視。
宿題してもしなくても迷惑かけないじゃん。
制服ぐらいハンガーかけてくれて良くない?
私疲れてるんだし。
弁当箱、テーブルに置いたじゃん。勝手に持ってって洗えばいいじゃん。
今日は体育もあったからお腹空いてるのに夜ご飯、いつもと同じ時間とかありえないでしょ。
しかも、今日はお肉の気分なのに焼き魚って。
バカにしてんじゃない?って思う。
お風呂早く入ってって言われても困るんだけど。
彼氏と電話で話す約束してるから無理無理。
じゃあ、最後に入るならお風呂洗えって?
なんで私がそんな事しなきゃいけないの。
それって親の仕事じゃん?
しかも、私が買ってきてって言ったシャンプーじゃないの買ってきてるし。もうボケたの?迷惑過ぎるんだけど。
しかもさ、早く寝ろって寝る時間まで疲れた顔して鬱陶しい。自分が疲れてるなら勝手に寝ればいいじゃん。ほっといてほしい。
夜は唯一の自分の時間なのに、何勝手に文句言ってるの?私若いからさ、体力あるんだよ。親の世代と同じ時間に寝なくたって平気なんだから。
もう知らないって言われたってこっちこそ知らんし。
なんで勝手に死んでるの?
朝起こしたりご飯用意したり親なら当たり前じゃない?
私の当たり前にあるべき生活返してよ。
とっぷりと日は暮れて、幼稚園や小学生くらいの子供だったらそろそろ布団に入って眠りにつく時間。
私は蛍光灯が眩しい塾の窓から自宅のある住宅地を眺める。そろそろ授業が終わりそうだ。
10年ほど前に新興住宅地として作られた住宅が段々畑の様に並ぶ家並み。
私も私の両親とあの家並みの一つに住んでいる。
駅までバスで七停ほど。ちょっと遠い。
だから家から駅を見ると遅い時間になっても煌々と灯りが見える。私のいる塾はその灯の中の一つ。
私の家はきっと灯りはついてない。
塾に通う前は私が留守番していたからついてたと思う。
家に居たから自分家の灯りがついてるところを外から見た事はない。
父も母も忙しい人で家にいる時間はほとんどない。
一人っ子な私はいつも留守番だったから、暇だしやる事ないしでダラダラとスマホ見たりゲームしたりしてた。
口煩く注意されない代わりに、成績は最底辺を這いずっていた。学校ではおバカキャラってほど陽キャにもなれず、今時、ヤンキーなんて見たことないから、そんな仲間もいない感じなんだけど、もうすぐ高校受験って事で塾に通う事になった。
私の成績にも無関心な両親だけど、塾に通いたいと言った時も何もいわず通わせてくれた。
将来の夢なんてないし、勉強は嫌い。
やらなくていいならやりたくないのが本音だけど、中卒で働けって言われても困るから高校行こうかなって思っただけなんだけど、家で勉強した事ないし無理で、塾。
塾に入って良かった事は、夜に1人で家に居なくていいって事。最初はゲームとかYouTubeとか見れないの嫌だなとか思ってたけど、慣れたら別になくてもいいかなって思うようになったし、学校以外の同級生と話するのも面白い。
だから結構、塾にいる時間が好き。
だから、塾が終わって暗い家に帰るバスが嫌い。
明るい所からどんどん暗いところに行く感じが嫌い。
ずっと人がいる明るいところにいたいのに。
もうすぐ授業が終わって、バスに乗る。
そしたら、私は家に着いて、電気をつける。
あの、暗い家並みの灯りの一つになる。
そしたら、誰か私の灯りを見てくれるのかな?