ずっと、神宮球場に行きたいと思っていた。
目的は野球観戦だけど、それ以上につば九郎に会いたかったから。他球団ファンだけど、つば九郎は好きだから。
神宮へ行くのなら、ついでにハマスタへも行ってバート&チャピーにも会いたいよね〜なんて言っていたら結構大掛かりになってしまうので、なかなか実現しないでいたけど、ヤクルトは毎年4月か5月に愛媛の坊ちゃんスタジアムで試合をしてそこにつば九郎も来ていたので、ちゃんぼつ(坊ちゃんスタジアム)なら、今年の対戦カードは推し球団じゃないけど、しかも平日だけど頑張れば何とかなるかも...、今年こそは都合がつきそうだからちゃんぼつへ行こうか、なんて言っていた。なのに...。
つば九郎の事、思っていた以上にダメージが大きくて、油断したら泣いてしまいそうになる。
今の気持ちやつば九郎への想いとかを上手くまとめてここに書いてしまえば、消化したり昇華したり成仏したりできるのかな...でもまだまだ時間がかかりそう。受け止めきれなくて気持ちの整理は全然出来ていないけど、今もひそかに想っている。
つばくろうに、あいたいよ。
これからもずっと、だいすきだよ。
「手紙の行方」
昔々のお話です。
ビリビリと八つ裂きにするなり、炎で燃やして灰にするなり、ぐしゃぐしゃにして生ゴミに出すなり、どんな手を使ってでもこの世から抹殺したい...と思う手紙ならあります。
昔々、私が書いたあの人への手紙...。
若気の至りだったのじゃ。
輝きといえばミャクミャク様は昔、いのちの輝きくんだったよな〜なんて事を思い出してしまうと、もう今はミャクミャク様の事ばかりを考えてしまっている。
ミャクミャク様はクトゥルフ神話のヨグ=ソトースの子供ではないかと勝手に思っているので、もしもミャクミャク様の最終形態があるとするなら恐らく虹色の輝き。
「時間よ止まれ」と思うよりも、時間よ早く過ぎ去ってくれと思う事の方が多いかも。
時間が流れる事で救われる事もあるしね。
「未来の記憶」と言えばこれはもうアーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」ですね。
1952年の作品なので古典名作SFと呼ばれますが、今読んでも古さは感じられないと思う。
SFは苦手だと言う人も多いみたいだけど、思っているよりも読みやすいので、気になるかたは是非是非。
SF沼に沈みましょう。ずぶずぶ。