「いつまでも捨てられないもの」って、これは捨てようと思ったことがある、捨てるか捨てんか審議にかけた事があるけど捨てられないもののことですよね。だとしたら今は思い浮かばないかなぁ。
私は定期的に「断捨離じゃあぁぁ!」と、断捨離祭りを開催しているのです。だからといって、ミニマリストのようなキレイでスッキリとしたお部屋に住んでいる訳ではありません。いつも雑然とした部屋からお送りしております。
その断捨離も明らかな不用品やゴミを捨てるといった段階は過ぎ、今は思い出やら思い入れやしがらみと向かい合って、捨てるか捨てんか審議をしている最中です。
思い出と冠するものは捨て難い。
でも回を重ねるごとに、前回は生き延びたというかすり抜けたものたちでも「...もうええか」と思うことがあります。
思い出も朽ちるんですよ。
そして、朽ちた思い出は捨てても平気なんですよ。
なので私は結構、思い出も捨てました。
今残っているものは、何かしら意味があるんですよ、多分。
とりあえず捨てられないものはないとしても、捨てないものならあります。
以前にも書きましたが、子どもの頃、犬を飼っていたんですね。
ある日、床に一本のヒゲが落ちていたんです。「え?ヒゲ?」と思いつつもそのヒゲを拾って適当にアルミホイルに包んで財布に入れたんですが、そのヒゲ、今も財布に入ってます。当然、何回か財布を買い替えてはいますが、その度にヒゲも入れ替えてきたのです。
猫のヒゲは縁起が良いと聞いた事があったような気もしますが、犬はどうなんでしょうね。
でも、縁起物だとか魔除けとかお守りとかじ
ゃなくてもいいんです。飼っていた犬のヒゲ
だから持っていたいんです。
だからこれは、捨てられないじゃなくて捨てないもの、絶対に捨てないもの。
なので私が死んだ時に棺桶に入れてもらえるとありがたい。
(こういう事って、エンディングノートに書いておくべきなんですよね?とりあえず臓器提供の意思表示カードにでも書いておくといいかも?)
今季は序盤から不振を極め、エラーをすればヤジられ、チャンスに凡退すれば罵声を浴びせられ、SNSでも叩かれ続け心苦しい毎日でしたが、それでも前を向いて試合に出続けている気高い姿を誇らしく思うし、またそれは、どんな時代になってもその姿を追いかけている私の自信でもあり誇りでもあります。
・・・
そら皆んな、頑張る推しは誇りだよね。
推しのことは誇らしいと思う、じゃあ自分はどうなの?と考えていたけど強いて言うなら、私が通っていた高校は成績表が1、2学期は5段階評価で3学期は10段階評価だったんですが、高3の3学期の美術はなんと「10」だったんですよ、私。
だからと言って、それが活かせる仕事をしている訳ではないのですが。
挫折と屈辱を繰り返して繰り返して今に至っていて、もう全然絵を描いたりはしないけど、でもこの頃になって、また絵を描きたいなぁと漠然と思うことがあります。
そういう仕事をしたいとか、自分の作品を世に出したいとかは全く思ってはいなくて、趣味の範囲でひっそりと、また始めたいだけなんです。
今のままでは何も残せない。
だからもうちょっと、足掻いてみようかと。
こんなにも諦めが悪い自分を、少しは誇ってもいいのかな?
夜の海に落ちる夢を見た。
.
.
.
水の流れに任せてゆらゆらと落ちていく。
私は泳げないタイプの魚なんだろう。
波打つ痛みが薄れていくような気もする。
遠ざかる光をぼんやりと眺めつつ、永遠に続くかのような暗い海の底に向かって落ちていった。
ただそれだけのこと。
夏の帽子といえば、麦わら帽子
夏の行事といえば、遠征旅行
...というわけで、只今遠征中なのです。
例え知らない土地や見知らぬ場所にいたとしても、心の中にいつも流れているのは、君の奏でる音楽だよと思いつつ、疲れたので今日はもう寝ます。
おやすみなさい。
私の前世は魚でした。
子どもの頃、海の底から空を眺めている夢を毎日のように見ていました。
きらきらとした太陽から降り注ぐ光を、ずっと眺めていたのです。
なので私の終点は、海。